革命は手のひらから生まれる

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 雨そぼ降る中
 池の中に
 黄色の粒が
 あちらこちらに
 蕾は未来があっていいと
 池の端に佇んで
 雨の音を聞くのです

 


 最近のニュースを見ていますと、犯罪者にとっては、どうも、やりにくい世の中になっているのではないかと、妙な話ですが、同情を持って、それを見聞きしているのです。

 君たち、もはや、逃れられないよって。

 だって、何かが起これば、その足取りを、警察は街頭に設置されたカメラでほぼ的確に掴んでいることを、ニュースは伝えているからです。

 テレビでは、これが犯人がコンビニから出てきた画像ですとか、これが犯人が逃走した際の車の映像ですと、それを流すのですから。
 だから、警察では、きっと、それ以上に細かいデータを掴んで、犯人を追い詰めているはずなのです。

 私の暮らすつくばでは、バスに乗る際、Suikaではなく、顔認証で乗り降りするシステムの実験が始まると新聞に出ていました。
 今の所は、筑波大学の一部の路線だということですが、そういう時代がきっと日本のどんな地方にも来るようになるのです。
 これからは病院に行く時、歩かずに、顔認証でバスに乗ってやろうと、実は密かに意気込んでいるんです。

 随分と昔の話になりますが、ポーランドで起こった一つの歴史的事件を思い起こすのです。
 あの独立自主管理労働組合「連帯」の一件です。
 時の政府批判を繰り返し、拘束されたのが、当時、日本で、ワレサと呼ばれていた人物です。その後、彼はポーランド大統領に就任します。
 今、新聞では、ワレサではなく、正確な発音で、ヴァウェンサと表記するようになっています。

 当時、ポーランド政府は、民衆が中華鍋のように湾曲したものを自宅に掲げて、西側の情報を得ていることにさして重きを置いていませんでした。
 あんなもので、何がわかるんだと高をくくっていたのです。

 しかし、民衆は、中華鍋から得られるおぼろげな西側の映像を興味深く見ていたのです。

 与太者がうろつき、浮浪者があふれ、食うものもない西側に比べて、我々の国は、保障と安定に裏打ちされた素晴らしい国だと教わっていたのですが、そのおぼろげな映像は、その政府の言葉に嘘があることを証明していたのです。
 だって、ものを得るために、長い行列をして、わずかな小麦を手にするだけなのです。そんなのが、保障と安定だなんてと、そう思っていたからです。

 だから、中華鍋、そう、簡易パラボラアンテナで西側のニュースを覗き見ていたのです。そして、真実を知ってしまったのです。

 若者は髪を伸ばし、やぶけたジーンズを身につけ、街中で男女がイチャイチャしているそんな光景を見、さらには、市場に、バナナが山積みになり、人々は並ぶことなく、食料をこれでもかと買っているという真実です。

 ソ連の崩壊につながる東欧革命は、まさに中華鍋から始まったのだと言えるのです。

 その中鍋鍋の本拠地中国では、きっと、統治する現政府は危機感を募らせているはずです。
 だから、NHKが天安門を報じれば、画面をとめてしまうのです。
 中国政府は、このことについて何らの見解も語っていません。いかなる理由でそれをするのか、その根拠はなんなのかを一切明示しないのです。
 それを追求するジャーナリストも、それはおかしいと糾弾する反対勢力もいないのです。

 いや、いないわけではなく、いるのですが、圧倒的な権力で、押しつぶしているのです。

 中国の政府は、実によく、かつ、的確に世界の動きを見ています。
 だって、あのソ連が潰れたのです。それを目の当たりに見たのです。だから、彼らの背後に忍び寄る危機感は尋常ではなかったはずです。

 偉大なる中華民族の国家を守るためにはわが党の圧倒的な権力集中と国際的な影響力を見せつけなくてはなりません。

 アラブの春では、SNSが威力を発揮しました。中国政府はそれをも見逃しませんでした。
 だから今、全国に2億台を超えるカメラを設置したのです。
 もちろん、そのおかげで、支払いは現金がなくても可能になり、世界に先んじて最先端のまちづくりに成功しているのです。

 しかし、裏は、民衆を監視するそんなカメラたちなのです。

 その勢いを持って、香港から一国二制度を取り上げ、南シナ海と東シナ海の境にある台湾を武力制圧して、さらに強国、強軍の国家を目指しているのです。
 それこそが、過去、列強に、そして、日本に虐げられてきた中華民族の栄光であると。

 でも、残念なことに、香港では民衆が、権力から侵害を受けることのないテレグラムなるアプリを使って、二百万におよぶ市民を動員しました。
 台湾では、半数が独立を支持し、中国に組み込まれることを拒否するのです。

 国家が情報を統制すればするほど、その国家が危機的状況にあるのは確かなことです。
 ポーランドも、そのほかの東欧の国々も、それにソ連も、アラブの独裁国家も、皆、民衆の手によって、崩壊をしていきました。

 中国だって、例外ではないのです。

 中国政府がカメラを設置すればするほど、情報を遮断すればするほど、それはあの政府の崩壊が間近であることを示しているのです。

 歴史の必然として、そうあると、私は思っているのです。

 テレグラム社が声明を発しました。
 国家級のサイバー攻撃を受けたと言う声明です。
 発信地は、中国だと断定をしました。

 スマホとともに育った若者たちが今中国の統制に、手のひらの小さな機器で臨んでいるのです。

 日本の若者たちが、手のひらの機器を使って、活動をしなくて済むように、日本の政治家は大丈夫かしらって、私、そっとiPhoneに目をやるのです。



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一袋のビワ

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 シルバーの科学の門が
 台風一過の
 晴れ間に照り輝きました
 眩しいくらいでした




 ご近所の親しくしている方が、大きなビニール袋をぶら下げて、この時期、私が午後の仕事場にしているウッドデッキのある庭先に立っていました。

 はかどっているって、そう言いながら、私が夢中にMacに向かっている姿をしばらく眺めていたようで、私、ちょっと照れ臭くなってしまったのです。

 ビワがなったんだよって、その方、その大きなビニール袋を高く掲げます。

 私、ウッドデッキの入り口の木戸を開けて、入るように促しますが、道路の方を指差します。顔を出して、道路を見ますと、一輪車にビニール袋がいくつも載っています。
 親しくしている人たちに、おすそ分けで配りに行かなければならないというのです。

 形は小ぶり、傷もあり、一級品とは言えないけれど、甘さは格別だと、ぜひ賞味しくれと、彼、そう言って去って行きました。

 いただいた袋を覗き込みますと、橙色をしたビワがゴロゴロとあります。
 美味しそうだなって、一つ取り出して、皮をむきます。
 皮はさほど容易には剥けませんが、それでもコツを掴めば、わけはありません。
 手のひらにビワから湧き出た果汁がこぼれ落ちます。そして、それを口に運びます。

 フルーツの瑞々しさを堪能したあと、口の中から、大きな種四つが出てきました。

 この種、今年は鉢に挿して、ビワの木の盆栽を作って、お返しにしようって、随分と気長なことを考えつきます。
 あまりの甘さに、私は、ビニール袋に再び手を突っ込んでいました。

 それにしても、このビワ、漢字で書けば、琵琶、それとも、枇杷、どっちだろうと、普段気にも留めないことを考えたりします。

 琵琶といえば、平家の物語を語った盲目の法師の姿がすぐに思い起こされます。
 早稲田で中国語を勉強していた時、中野良子先生に誘われて、クラスの皆で、中国琵琶の演奏会に池袋まで行ったことがありました。
 日本の平家琵琶と異なり、実に、鮮やかな演奏スタイルで、感動したことを覚えています。
 曲が平家琵琶のように暗くないのです。それに、悲壮感などこれっぽちもありません。演奏を聴いて、広大な草原を思いやることができたのです。

 それもそのはずです。
 この楽器、中央アジアを起源として、世界中に広がったものだと、私、記憶があるのです。

 敦煌で発見されたものと同じものが正倉院にもあるやに記憶しています。ペルシャでは、それが出土品に浮き彫りとして描かれているのを見たこともあります。
 日本にやってきて、薩摩琵琶になり、平家琵琶となり、中国では、日本のそれとは違って、巧みに指を操り、メロデイアスな楽曲を奏でるそれになったのです。

 枇杷と書くのと、琵琶と書くのと、どう違うのかしらって、私、三個目のビワの皮を向きながら、思いは継続していました。

 木偏で「比巴」とあるのだから、それは今食べているビワに違いあるまい。

 「琵」「琶」も、この字の部首は、かんむりではなく、「王偏」です。
 「玉偏」とも言います。ですから、きっと、その音色を奏でる楽器に、古代の人々は、螺鈿を貼り、宝玉を埋め込んだに違いない、そんなことを想像していたのです。

 自宅の庭に出来たビワを収穫し、それを配って回るなんて、素敵なことだと、私は思いを転換しました。

 我が宅の小さなポットでできるトマトやナスを人様にあげられるようにならなくてはと思うのですが、それほどの量が取れるわけではなく、もし、やれるとしたら、一個か二個、そんなものもらっても嬉しくもあるまいと思ったりしながら、私は、四個目のビワに手を出していました。

 でも、この方、いつだったか、自ら作ったという木製の椅子を持ってきてくれたのです。

 門の前に立って、作ったから使って、二階にある玄関から顔を出した私に声をかけてくれたのです。
 趣味で作ったものだけど、使ってよって。

 見れば、作りもしっかりとして、今でも、キッチンの上の棚のものを取り出すのに使っているくらいの立派なものなのです。

 先だっては、役場に通じる道をそそくさと歩いて姿を見かけ、挨拶をしました。どこへ行くのかと問えば、碁会所に行くといいます。
 私にも行かないかと、一緒に頭を使わないかと誘いを受けたのですが、iPhoneでのゲームさえしない私です。
 ですから、碁などそのような高尚なゲームなど、私には出来ませんから、丁重にお断りをしたのです。

 それにしても、この方、いい人生を歩んでいると思っているのです。

 もう何十年も昔のことですが、私が、何かの用事で、荒川沖から常磐線に乗って東京に向かう時のことでした。

 当時、TXはなかったのです。
 ですから、つくばに暮らすものたちは、荒川沖に出て、常磐線に乗るか、時間にさほど捉われなければ、渋滞が懸念される高速バスで東京駅に向かうかいずれかであったのです。

 その日、まだ薄暗い駅のホームで、私は、その方を見つけたのです。
 そして、上野までの道中、席を隣にして、なんだかんだと語り合ったのです。
 その方、品川まで勤めに出ていたこともその時知りました。
 毎日、暑い時も寒い時も、朝早い電車に乗り、仕事に行っていたのです。

 それは、つくばの田舎で、おっつけやってくる人生の、自分でなんでも仕切ることのできる時間を謳歌せんがための苦労だったのです。

 それは私にもよくわかることでした。だから、意気投合したというわけなのです。

 ふと、気がつくと、いただいたビワのあらかたを、私は食べてしまっていました。
 テーブルの上は、大きめの種だらけになっています。

 いや、果糖の取りすぎだって嘆くも、一旦、口に入ったものは戻ってきません。
 でも、なんだか、心地よい感じなのです。

 ビワの果糖のさっぱりしたそれではなく、あの方の生き方を思い起こして、そう感じたのですから。



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おぉ、ミステリー

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 垂れこめる雲
 茶色い砂浜
 台風の波かしら
 一人の子供が
 そんな海を 空を 雲を
 じっと見ています
 子供だって
 将来を 未来を ついさっきのことも
 思っているのです




 日本時間、2019年6月22日午前1時54分。

 この瞬間、我が地球の自転軸の北端は、太陽に向かって、23.5度傾きました。
 正午に至ると、太陽はこの年最も高い位置に達するのです。

 この日この時を境に、太陽からの恵みである日照時間は、いや増しに、増していくのです。

 太陽エネルギーを受けて、私たちの暮らす地球は暖かさを増していくのです。
 いや、暖かさなんていうものではありません。
 猛烈な暑さの日々を私たちはやり過ごさなくてはならなくなるのです。

 時に、南太平洋の空気を孕んで、空は荒れ狂うほどに熱にうなされるのです。

 いや、待てよ、これは正しい表現ではないぞって気がつきます。
 物事には、必ず、表があれば、裏があります。

 我が地球は、球体で、しかも、傾きを持って、自転をし、公転をしているのです。
 ですから、地球の上と下では、まったく逆の現象が起きてくるのです。

 コアラの国に住む私の幼な子たちは、今、ダウンを着て、私のiPhoneのWhatsAppにその姿を映します。
 朝方はゆっくりと夜が明け、夕方は早くに暗くなり、太陽エネルギーは減少していくのです。

 幼な子は、まだ幼稚園児、道向こうに住むカナダからの移民の子、リアムが学校から帰ってくるのを、寒い中、彼の家の前に設えられたガーデンチェアに腰掛けて待っていたと、なんだか、そんな話を聞くと、健気さと、真面目さを感じ、心が痺れてしまうのです。

 しかし、だからと言って、コアラの国では、この日を冬至とは言いません。
 北半球に併せて、GOKUが友達を冬空の下で待つ国でも、この日を夏至と呼んでいるのです。
 
 なんと、ミステリーって、思うのです。

 この日、一人の天才に処断が下されました。
 それは、1633年の夏至の日でした。

 我らが地球が宇宙の中心にあって、宇宙は、その周りを回っているという教会の教えに、盾突き、地球が太陽の周りを回るという神をも恐れぬ大それた説を撤回せよというのです。
 さらに、この男には、これからの人生のすべての時間、外に出ることを許さないという決定がなされたのです。

 なんと言う横暴、なんと言う愚かさ、なんと言う無知かと憤るものの、それが人間の辿ってきた道であることに、私は、落ち着くのです。

 そして、人間の傲慢さをものがたる逸話として、私は、この話を捉えるのです。
 
 科学なる、真理を導く学問が、日の目を見て、宇宙の実態が次第にわかってきて、今や、地球が宇宙の中心にあるなどと誰もが思うことなどありません。

 ダンテという作家がいます。

 『神曲』という中で、彼は地獄は九層に分かれてあると言いました。
 もっとも深い層には送られるのは、殺人でも、邪婬でも、異端でもありませんでした。
 最下層は、裏切りという人間の心に巣食う邪なありようをもち、それを遂行した者たちでした。

 その邪なありようは、科学が人間の心に根付いた今も、あちらこちらで繰り返されているのです。
 そんな姿、日々の新聞の社会面でも、最近は、経済面でも見て取ることができます。

 だから、ダンテの『神曲』は、人類の共通の読み物として、その哲学は永遠に賛美されるだと考えるのです。

 そのダンテ、裏切りを最大の悪と位置づけ、それをなしたものは地獄の最下層であり続けないと考えましたから、光秀も、ブルータスも、そして、あいつもこいつもきっと、その最下層で苦しんでいるに違いないと思いを巡らすのです。

 地獄の最下層のその一段上はといえば、それは阿諛追従のやからが収められると言っています。
 暴力や殺人よりも、阿諛追従のやからを地獄の下層に置いたのはなぜかって、そんなことを考えるのです。

 忖度をしたり、ゴマをすったり、人の心の隙間に、入り込んで、自分に利益をもたらすそんなありようこそ、ダンテは、最も悪なるもののひとつだと考えたに違いないのです。

 はて、おいらは大丈夫かと、これまでの人生の中で、裏切り行為はなかったかとそっと己の行き方を振り返るのです。
 忖度や、人の気持ちを阿諛したり、追従したりしなかったかと、これまた振り返るのです。
 
 いやはや、あるはあるは、出てくる出てくる、そんなことばかりだって。

 おいらも、どうやら、ダンテのいう地獄の最下層に送られそうだと。
 地軸が23.5度傾いた21世紀の地球上で覚悟を決めたのです。



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まぼろしのフランクルトステーション

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 台風が発生したと
 地震があちらこちらで
 大阪では激突が
 ロンドンではヤンキースが
 この夕陽
 何か嫌な予感が
 そんなことを思ったのです




 あれはいつのことでしたか。

 仕事でフランクフルトに滞在していた時でした。
 その日、相手先の都合で、仕事に空きができました。
 せっかくだからと、一日、ハイデルベルグまで出かけて、遊んだときのことでした。

 この日、私、ちょっと不安にならざるを得ない経験を二つしたのです。

 一つは、ハイデルベルクで、立ち入ってはいけないところに、どうも、私は入ってしまったらしく、そこの管理者らしきドイツ人に、大きな声で叱責を受けたのです。

 無理を通すつもりなどまったくなく、こちらに落ち度があるのだから、叱責は甘んじて受けるとして、それにしても、明らかに外国人、それも旅行者とわかる日本人に、あのような罵声は如何なものかと、そんな経験であったのです。

 近くにいた、アメリカ人らしき旅行者も私に同情をしてか、肩をすくめていました。

 もう一つは、その小旅行からフランクフルト中央駅に戻ってきた時です。
 ホームに降り立った瞬間、私、異様な雰囲気を感じ取ったのです。

 革ジャンを着た若者たち、何やら旗を振りかざし、互いに怖い顔をして罵り合っています。

 ところが、多くのドイツ人乗客は何食わぬ顔でその若者たちのそばを通り過ぎていくのです。私は、訳も分からずに、しばし、ホームに佇み、いったい何事が起こっているのかと注視したのです。

 ナチスがこの国を席巻した時のあの熱狂かしらと、あり得ない想像を巡らしたりもしたのです。

 ホームの向こうに、ナチスの軍服を着た将校が兵士を従えて、乗客から外国人を見つけては収容所に送っているのではないかと、つい先ほど、大きな声で叱責を受けたことを思い出し、私は萎縮してしまったのです。

 革ジャンを着た若者の集団から一人の男が、ホームの端に佇む私の方に、その長い足を大きく開いて、やってきます。

 私には、その革ジャンの若者が、次第に、襟に、重ね稲妻のあのSSのマークをつけたナチス親衛隊の将校に見えてしまったのです。

 その将校は、Takahara Takaharaと、私に向かって言いながら、近づいてくるではないですか。
 そして、ヤーパンという声も私には聞こえてきました。

 この日、アイントラハト・フランクフルトの試合が行われ、アイントラハト・フランクフルトが勝利し、Takaharaが得点を挙げたというのを、後で知ることになるのですが、その革ジャンの若者は、Takaharaと同じ国から来たらしい、そのような顔つきの私を見つけて、近寄ってきたのです。

 実にドキドキとする体験でした。
 
 もちろん、その刺青を腕に施し、革ジャンを着た青年と握手をし、友好を保ったことは言うまでもありません。

 ドイツ人も、なかなか、熱い奴らだと、そんなことを思って、私は、フランクフルト中央駅の近くに取ったホテルへと戻っていったのです。

 こんなことを書くと、ドイツ人は怖い、あのナチスの時代のままだと誤解を与えてしまいそうですが、実は、ドイツでは友好的な関係を多々構築することができていたのです。
 だいいち、どこでも、誰もで、英語が完璧に通じるのです。
 街の文房具屋さんでも、花屋さんでもそこに働く皆が、英語を理解し、しゃべってくれるのです。

 それに何より、私たち日本人には、幾分好意的な面もあると思っているのです。
 もちろん、かつては、枢軸国として、一緒の仲間であった意識がきっと、彼らにはあるのだと思っているのです。

 今度一緒にやるときには、あのイタリアは抜きにやろうではないか、なんてジュークをかつて私は聞いたことがあります。
 弱い、すぐに降伏するあの国は除いて、日本とドイツでもう一旗揚げようというブラックジョークです。

 それにしても、なぜ、あのサッカーの熱狂の中に、ナチスの面影を私は見てしまったのかと不思議でならないのです。

 きっと、私の中に、ドイツへの偏見がいまだにあるのかも知れません。
 そんなことを思うと、アジアの国々の中に、かつての軍人が闊歩し、強大な軍事力を誇示した日本への、そのようなイメージをいまだにもつ国があっても仕方があるまいと思ったりもするのです。

 人の心の中には、ぬぐい去ろうとも、ぬぐいきれない思いというものが、くっきりと刻み込まれるものなのです。

 ロンドンに向けて旅立つ朝、私は、ホテルを出て、フランクフルト中央駅を散歩しました。
 列車から、多くの人々が吐き出され、職場に向かっていきます。
 私、その光景を見て、丸の内の、あの東京駅の中にいる錯覚を覚えたのです。

 この人たち、私たちをよく似ていると、生真面目で、几帳面で、何事も懸命に物事を行う人々なんだと。



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雨の日に野菜は色づく

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 ウッドデッキには
 さまざまな客人がやってきます

 もっとも多くやってくる客人は
 この揚羽蝶です


 ここは揚羽の光の道筋になっているのです

 私のこの時期の仕事場
 ウッドデッキで私は彼らと
 対話を楽しむのです


 何を話しているのかって
 それは秘密です




 雨の日は、色が消え失せます。

 遠くに見える森さえも、あのみどりみどりした濃い松のみどりを薄めて、ほのかに、淡いものに色を変えていくのです。
 近くに見える幼稚園の、御伽の国のような塔の、その黄色の屋根さえも、雨は薄めていってしまうのです。

 雨が時折激しく降る時は、我が宅の前をしぶきを上げて車が、大変だ、大変だ、濡れてしまうって声を上げるかのように、走り去っていきます。

 その激しく降る雨は、まるで靄をかけたように、周囲の色を消していくのです。

 そこにあった道端の草の色も、道路に描かれた黄色のラインも、鮮やかな塗装の車の色さえも、線を何万本も引いたような雨が、その色を消し去っていくのです。

 雨は、色を消し去る消しゴムか、それとも、鮮やかな絵の具の上に落とされた水滴か、そして、その水滴がそこにあった色を滲ませて、次第には、色をなくしていくのです。

 ウッドデッキにしつらえた屋根のあるところに出て、そこに置かれたガーデン・チェアに腰をおろします。
 雨の音を聞きながら、ポットに植えられている野菜を眺めます。

 キュウリが黄色の花をいくつも咲かせて、そのうちのいくつかは、その根本に、小さな赤児のキュウリをつけています。
 早く大きくなってくれって、声を潜めて、呼びかけます。

 そうか、君は、黄色の瓜だから、キュウリって言うんだって、今更のように気がつくのです。

 そんなことを思っていたら、ナスのポットにも目がいきました。
 鮮やかな紫の色の花が、そこにありました。
 これがやがて、あの紫色のナスとなるんだと思うと、その色が愛おしくなりました。
 だって、私、ナスを薄く切って、多めの油で焼き、そこに擦った生姜を落とした、あれが大好物だからです。
 
 そうだ、ナスの色はなんだと、思案を巡らします。

 茄子紺(なすこん)なんて言葉があったことに思いたります。
 藍染職人が理想とした色合いです。

 ナスがいとも簡単に引き出す色合いを、人間は容易に出せなかったのです。
 だから、その色合いは高貴な色として、昔の日本人は茄子紺などと言う洒落た言葉を生み出したに違いないって思ったのです。

 いや、面白くなってきたぞ。

 軒下にぶら下げてある玉ねぎ、今年、初めて収穫したものです。
 あの玉ねぎだって、昔の日本人は、その醸し出す色合いを言葉に残しているんだ。

 そう、萌葱色です。

 玉ねぎそのものの、それは色ではありません。
 玉ねぎの地上に出ているあのみどりみどりした濃い葉の色合いを言うのです。

 十二単衣の襲(かさね)の式目を思い出します。
 明るい緑を萌黄と表現し、濃い緑を萌葱と表現した時代があったことをです。
 日本人は色に関しては、なかなかにうるさい民族だったに違いないと思うのです。

 現代人よりも、平安人の目は、確かに、多くの色合いを認識していたに違いないって、吊るされた玉ねぎを見て思うのです。

 トマトは、毎年、何種類かのものをポットで育てます。
 今年は、大玉、中玉、ミニ、そして、イタリアントマトと四ポットを植え込んでいます。
 どれも実は赤くなるはずなのに、花は黄色だって、これまた今更のごとく気がつきます。

 トマトって、へそ曲がりか?
 キュウリだって、ナスだって、花と実は同じ色合いなのに、トマトは違うって。

 そういえば、サフランの雌しべ、あれも赤かった。でも、それを水に溶かして、ご飯を炊けば、そのご飯の色は黄色になった。
 黄色が赤になり、赤が黄色になる。

 サフランもトマトも、きっと、へそ曲がりの魔法使いに違いない。
 
 雨の粒を受けて、野菜の葉の上に水玉がいくつも付いています。
 そういえば、その水玉で思い出すことがあります。

 溢泌と言う言葉です。
 いっぴつって読みます。

 植物が、成長に必要な水分を得て、そのあまりを葉から出す液のことを言うのです。
 それを虫たちが舐めて、栄養にすると言う循環です。
 溢泌は学術的な色合いの濃い言葉ですが、私の頭の中には、乳草なる言葉もありました。
 これはちぐさと読みます。

 伸び切った我が宅の山吹の枝を伐採すると、その枝先からミルクのような樹液が溢れ出してきます。そのようなのが乳草です。

 トマトが赤くなると医者が青くなるなんて言葉があったなと、そんなことを思いながら、魔法使いのトマトのポットになっているまだ青いトマトを見ていたのです。

 雨の季節が終われば、この青いトマトは赤くなって、食卓に鮮やかな色合いを添えるに違いないって。



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イワシの嘆き

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 やはり港の空は
 こうではなくてはいけない
 青い空に白い雲
 この単純さが港には
 似合うと
 つくづくと思うのです

 


 うなぎの完全養殖が成功したとニュースが伝えていました。

 うなぎは、南の海で孵化し、シラスウナギとなって、日本の浜辺にたどり着いたところを採取されます。
 それを養殖して、大人のうなぎにして、夏の暑い盛りに、日本では、大量に食べられる、うなぎにとっては誠に災難にも匹敵する出来事なのです。

 もちろん、採取を逃れたシラスウナギは日本の川に入り込み、漁師に採られることもなく、村の悪ガキにつかまることもなく、そっと、日本の川を抜け出し、生まれ故郷の南の海に戻っていくことと思います。

 そんなことに思いが至りますと、なぜか、ホッとするのです。

 土用の丑の日なんて、妙な日が昔からあって、日本人は、大量のうなぎをその日に食べます。当然、日本国内だけでは足りませんから、台湾などから大量に輸入されて、それがニュースになることもあります。

 実に、日本人というのはうなぎが好きな国民なのです。

 また、それをぶつ切りにして焼くなど、スペインあたりで食べるようなそんな無粋な食べ方はしませんから、関東は背開き、関西は腹開きで、それを一度蒸すのが関東流、そのまま焼きを入れるのが関西流で、しかも、川魚の臭みを見事に消すタレで、蒲焼なる独特の焼き方を考案しましたから、好きな人にとっては大変なご馳走にもなり、栄養のなかなか取れなかった時代の日本人には、それなりに滋養強壮の食べ物になっていたものと思います。

 私はうなぎを好みません。
 なにせ、あの細長いニョロニョロとして風体が、どうもいけません。

 いや、食べないわけではないのです。土浦の学校にいた時、何か宴会があれば、鰻屋でと。土地柄、うなぎを食べなくてはいけないそんな時は、結構、美味しくいただいていたのです。

 鯉を食べたのも、こちらに来てからです。
 鯉のコリコリしたあらいも、鯉の骨まで柔らかくなった鯉こくも、食したことがあり、意外に、美味しいものだと何度かいただいたこともありますが、口の奥から、よだれがじわっと出て、食べたいと思ったことはないのです。

 蓼科に毎年夏、生徒を連れて、勉強合宿に出かけていた頃ですが、生徒を連れて、近くにあった牧場に出かけて、そこで、おいしいアイスクリームを食べて、土産に牛乳を買って、皆で、朝に飲んでいました。

 そして、その乳を出す牛さんを見て、可愛いなぁって皆でそう思っていたのですが、ある時、別の牧場で、これは肉になる牛だって言われた、それを見たとき、なんか、切なくなってしまったのです。

 だって、餌を与えられ、それも、高く売れるように、ビールまで与えられて、肉を柔らかくするように仕向けられているのです。肉牛のその大きな潤いのある目を見て、なんかやるせない思いにかられたのです。

 今、世界的に、一つのブームがあるといいます。

 私は、マッカートニーのメッセージからそれを知りました。彼は、菜食主義者としてその一面を見せています。完璧なる菜食主義者、ビーガンとしてあるのです。

 肥満から肉を避ける、飼育の際に出るガスから地球の温暖化を危惧する傾向も、それに影響を与えています。人為的に排出されている温暖化ガスの14.5%が畜産業に由来するというのですから、相当な量だと言えます。

 それよりも何よりも、生き物を食べるために、人間がそこに手を加えるということに、無理が出てきたのではないかと、そんなことを感じているのです。

 ですから、欧州あたりでは、大豆にフレーバーを加えて、肉らしく製造し、それを食べようという動きが大々的になされつつあるのです。
 いわゆる脱ミートのうねりというやつです。

 私、そのあり方に、実は、賛同しているんです。ことさら、生き物の命を、それも、奪うために飼育するなど酷すぎるとそう思っているのです。
 そんなことを言えば、うなぎ屋さんから、牧場主さんから、いい歳をして、うぶなことをいっているんじゃないと笑われるかもしれませんが、根底にはそれがあるんです。
 ペットを可愛がり、食卓にはその動物の肉が料理されるなんて、不思議なことだと思っているのです。

 うなぎから卵をとり、交配させて、それを繁殖させる高度な技術があれば、肉に代わる何かもっと命を無碍にしない何かを作れないものかとそんなことを考えるのです。
 人間は、その種を存続させるために、いや、その身勝手な趣向を満たすために、弱き命をことさらに奪うことは許されないのではないかとそんな気になっているのです。

 そんなこと、あの詩人が、もう、何十年も前に謳っていました。

 朝焼け小焼だ、 大漁だ
 大羽鰮(おおばいわし)の 大漁だ
 浜は祭りの ようだけど、
 海のなかでは 何万の、
 鰮(いわし)のとむらい するだろう って。



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粉モン水モンつくばモン

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 こんな夜明けが毎日見えるのに
 今朝はあたり一帯真っ暗闇
 予報は一日雨
 梅雨だから仕方もあるまいと
 暗闇の東の空を
 恨めしく眺めるのです




 関西人ではないのですが、私、いわゆる粉もんが好きなのです。

 パンも、ピザも、ナンも、小麦をこねて焼いた代物はなんでも、私の好物なんです。
 昔、母が作ってくれたすいとんも、お好み焼きも、もちろん、もんじゃも、粉を使って作ったものは、なぜか美味しいって感じるのです。

 銀座あたりで、ちょっと洒落たお付き合いで、何を食べたいのと問われれば、pizzaでも行こうかと、まず、百パーセント答えるはずです。

 そればかりではありません。粉をこねてそれを伸ばして、可能な限り細くした食べ物を、私は大いに好むのです。

 そうめんから始まって、中国大陸の麺類、それがヨーロッパに渡ってパスタとなる、まるで、ユーラシア大陸をマルコポーロのように、旅するような気分になれるのですから、素晴らしいと思っているのです。

 先だって、フランスパンに関するテレビ番組があって、それを見ていましたら、パン職人の方が、美味しいフランスパンを作る条件に、フランスの幾分色のついて小麦と硬水の水が必要だと言っていました。

 へぇって思いました。水がねぇって。

 なんでも、フランスの水は、硬度300だと言うのです。
 私の知識では、硬度の高い水の目安といえば、200前後だと記憶があるのです。

 つくばに転居したての頃、霞ヶ浦の水は随分と汚染されていて、その水を浄化して水道水としていたので、東京からやってきて、つくばの水を随分と心配したのです。
 ですから、水道のありようについて、ちょっと調べたことがあり、関東の水は硬度200前後というのが頭に入っていたのです。

 硬度300というからには、フランス人は、随分とマグネシウムとカルシウムが含まれている水を飲んでいるんだと、そう、思ったのです。

 東京をはじめとする関東一帯は、概ね、200程度の硬水です。それを水道水にして、適度な頃合いにしていくのです。
 ところが、京都は、そうではないと言うのです。

 とりわけ、京料理は、水道水ではなく、井戸水を用います。豆腐も、京都の魚屋の魚を洗う水も井戸水です。
 ですから京料理の店が東京に支店を出す時、東京の水ではなく、京都からわざわざ井戸水を持ってきて作っている老舗の料理屋もあると言うことを耳にしています。

 京都駅のそばにある京都タワーの中にあるごく普通の蕎麦屋で、名物のニシンそばを食べた時、その薄いつゆの色と、出汁の効いた味に、ほっこりしたことがあります。

 これが、京都の軟水の味だって、そんなことを勝手に思い、東京のこれでもかって濃い、いや、真っ黒い汁がなんとも鄙びたものに感じたものでした。

 さすが、京の都の蕎麦は品があるって。

 今は、日本全国どこでも水道局からの水の提供を受けていますから、さほど、提供される水の硬軟はないと言いますが、元が元ですから、やはり、関東は幾分硬水、京都は幾分軟水となっているようです。

 人間、生まれ育った場所で、その肉体も、さらには、精神も変わると以前に聞いたことがあります。 

 肉を食べる欧米人の体は、いかに、日本人の体格が向上したとはいえ、到底、かないません。彼らは恐るべき肉体を持ち、恐るべきタフさを発揮するのです。
 中国だって、北方は米がなかなかできず、麦の国でした。ですから、包子が主食となり、北京を中心に、背のすらりとした人間が育ち、南方は米が取れましたから、鄧小平のようなずんぐりむっくりの人間が多くいたのだと聞いたことがあります。

 田中角栄が北京空港に降りっ立ったとき、そこに並んだ、人民解放軍三軍の兵士は、皆、北方からより集められたすらりと背の高い兵士ばかり、その中を、あの鄧小平にも負けないずんぐりむっくりの角栄が歩まされたのですから、意地の悪い連中は、あれは中国の陰謀だと騒いだのを覚えています。

 イタリア系オージーのジェニーという女性が我が宅にいた時、その足の大きさにびっくりしました。玄関に置かれた私の靴の方が小さく、彼女の靴の方が大きいのですから、前代未聞、滑稽さまで醸し出していました。
 その彼女が言った言葉を思い出します。

 いやだ、私の足、こんなに大きいって。

 彼女が暮らすアデレードでは、なんということもなかった足の大きさがつくばに来て、まざまざとその大きさを目に見てしまったのですから、女性として、幾分、恥ずか知ったのではないかと、私、推測しているのです。

 人間ばかりではなく、生き物は、その地で採れたものを食べて、あるいは、異国のものでも、その地に合うようにして、口に入れます。
 そして、その地の空気を吸って、それを肺の中に取り込んで、生きているのです。

 ということは、そこの環境のすべてに依存して、私たち生き物は生きているということになります。

 はや三十年近く、その大半の年月、私はつくばの水を飲み、つくばの空気を吸い、つくばでできた食べ物を食べて生きてきたのです。

 確かに、生まれは東京でも、時折、長期間、ゴールドコーストで暮らすも、もはや、わが肉体は、メイドインつくばとなっているのです。

 そんなことを思いますと、ゴールドコーストで暮らす私の幼な子たちは、きっと、メイドインゴールドコースとなるに違いありません。
 身振りも手振りも、発する叫び声も、もう、彼らはコアラの国のそれであるのです。

 はてさて、どうなることやらと、つくばモンの私は遠くを見つめるのです。



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縄文の痕跡

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 梅雨の晴れ間が
 時にあらわれます
 梅雨の間だから
 空も
 空気も
 山も
 みどりも
 それがとても淡く見えるんです

 


 時には、金の卵ならぬ銀の卵だって持ち上げられたり、時には、何故交通事故が起こったのかって懇切丁寧に若造に解説をされたり、はたまた、二千万円問題でトンチンカンな応答を国会議員がしていたりと、はた迷惑なことだと、私、日本の年寄りたちに同情をしているのです。

 日本の年寄りたちの、多くの真っ当な者たちは、おのれのこれまでの人生を真摯に受け止め、不平も不満も、さらには、自慢も横柄さもなく、気持ちよく暮らしているのです。

 こんな達観した年寄りたち、世界のどこにいようかと、私などは思っているのです。

 日本の発展のために、身を粉にして働き、時には、黒いものも白いと無理矢理にも納得し、歯を食いしばって生きてきた人たちです。

 そこに目を向けずに、年を食ったと言う一点にばかり目を向けるのは、この国の悪い癖だと、姨捨の思想がいまだにあると、そんなことを思って、嘆いているのです。

 国連が興味深い予測を発表しました。

 世界人口、65歳以上の割合が、21世紀の中ほどには16パーセントになると言うのです。
 今が、9パーセントだそうですから、その度合いの大きさがわかります。16パーセントというのは、6人に1人が65歳以上ということになると言うのです。

 さして、驚くような数字ではないと、私など思っています。

 しかし、事実上、地球上の国という国が、年寄りのうようよといる世界になるのは確実のようなのです。
 そうなると、この地球では、労働人口を確保する政策がグローバルな方策のもとでなされなくていけません。若い人たちが、容易に世界に飛び出して行くチャンスを得ることが可能になるのです。
 しかし、日本がそうであるように、若い人たちは、外に行くより、うちにいる方が安心をするようです。
 なんとも皮肉なことです。

 若い人たちで、恋人がいない人たちの多くが、積極的に相手を探し求めていないと言います。 
 つまり、結婚して、子をもうけるという生物としての活動も、人類は低下の一途をたどっていることにもなります。
 先進国だけのそれは現象ではなくなり、地球規模でそれがなされて行くというのですから、国連も随分と酷なデータを発表するものだと呆れているのです。

 Keep America Greatなんて言っている国など、そんな時代の中では、きっと、立ちいかないでしょう。核心だと自己中に叫び続ける国だって、同じです。
 世界は、やがて、衰退をし、人類は地球上から消えてなくなる、そんな極端なことまで考えが至ってしまうのです。

 東大の先生が、そんな中、興味深いデータを出しました。

 縄文と私たちが呼ぶ時代、日本列島で、狩猟採集をして生活をしていた縄文人。その出土した骨を調べて、一時は絶滅するほどの状況下にあったことが判明したというのです。

 学者というのは、それをどうやって調べるのか、興味がありますが、それを求めても私の能力では、容易にわからないと思うので、結論だけをいただき、理解を深めようと思うのです。

 先生曰く、絶滅の危機は、地球の寒冷化にあり、食べ物が減ったことが原因であるというのです。
 ーそのくらい、私の頭でも理解は容易ですぞ!ー

 狩猟採取であれば、そんなこともあるかと思います。
 田んぼを作り、穀物をとっておくことができる時代になっても、人々は飢餓に苦しんだんですから、縄文の時代であれば、なおのこと、その危機は切実であったと思います。

 縄文人というのは、染色体に特有の型があると言います。

 弥生時代に入って、大陸からやってきた人々の血が混じり、弥生人が生まれます。その弥生人と染色体が異なるというのです。
 ですから、今の日本人は、縄文人の要素の強い日本人もいれば、弥生人の濃さが出ている人もいるというわけです。

 縄文人だけであれば、もしかしたら絶滅していたかもしれないのを、大陸からなんらかの事情で人々がやってきて、米をもたらした、そのおかげで、日本列島の縄文人は生き延びることができたのだというのです。

 当時、縄文人は26万人。
 その三分の二の命が失われていき、絶滅寸前の状況から、米を得て、生き延びてきたのが今の日本人なんだって、そんなことを思ったのです。
 
 加藤周一の『雑種文化』で読んだことを思い起こします。

 日本列島は吹き溜まりだ、南から、西から、北から、人々が流れ着いて、血を混じらせ今の日本が出来上がった。純粋なんてもんじゃないっていうんです。

 雑種混血だから、今の日本が出来上がったんだって言うんです。

 そう言えば、私の中にも、その痕跡があると、じっと鏡を見るのです。
 目は一重、きっと北方騎馬民族の流れを汲んでいるに違いあるまい。もしかしたら、ジンギスカンの血筋かもしれないと。
 髪は縮れ毛、これは南方系の証だ。きっと、カヌーに乗って、星を頼りに、南の島から、この列島にたどり着き、暮らしを営んできたに違いない、だから、私は船が好きで、海が好きなのだ。
 足は、長くもあり、短くもあり、つまり、縄文と弥生の二つを併せ持っているに違いないなどと、勝手なことを考えます。

 純粋などと言う言葉ほど胡散臭いものはありません。
 この世界で強いのは混じり気のある、多性格を持った存在なのです。



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扇の風

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 朝日が昇ってきた
 光を満載して
 木々の間からジワジワっと
 暑くなるのかしら
 湿気が増してくるのかしら
 そんな嫌な気分も
 心にのぼってきた




 我が宅には、何台の扇風機があるんだろうか?

 まず、朝方、ちょっと涼しい時に、温風も出してくれる、ダイソンの塔型の扇風機が私の書斎のデスクの脇に置かれています。
 これを扇風機というのかとご疑念を持つ方もおられると思いますが、私からすれば、れっきとしたこれは扇風機なのです。

 そして、テレビの前にソファーに私が腰かけた時に、これまた円筒形の扇風機があって、手元のリモコンで、自在に私に風を送ってくれるのです。

 さらに、昔ながらの羽のある扇風機が3台、私が腰を下ろすであろう箇所に設置されているのが、我が宅の夏のありようなのです。

 私は、エアコンよりも扇風機が、殊の外好きなのです。
 だって、エアコンでは、扇風機の前に顔を寄せて、口から発した音で遊べないからです。

 まぁ、冗談はさておき、実際、扇風機は私に極上の涼を届けてくれる代物として、幼きころかあったのです。

 夏休みになって、学校で費やされる無駄な時間より、すべてが自分の時間として使える夏休みのその日々を私は歓迎する少年でした。
 もちろん、エアコンなど、日本の家庭にはまだない頃でした。あっても、おそらく、ごく普通の民家にそれを設置できるのは、かなりのお金持ちでなくてはなりませんでした。
 だから、私は、たらいに水を張り、それを机の下において、そこに足をつけて、そして、扇風機を回して、朝の勉強に入ったのです。しかし、母親は、あなた専用のものではないと、それを奪っていくのが常でした。

 だから、いつの日か、きっと、自分の専用の扇風機を絶対に持てるくらいにお金持ちになるんだと、思っていたことを、私は思い出すのです。

 きっと、そのことが、私の宅の、今の扇風機事情を形成させていることはほぼ確実なことであると思っているのです。
 まぁ、今思えば、実に、ささやかな、発展途上国の、前途洋々たる少年の姿でありました。

 先だって、私の幼な子たちが珍妙なるものを持って、我が宅に現れました。

 首から、小さな小さな扇風機を下げているんです。扇風機のように羽根が回っているわけでもなく、それでいて、そこそこの風を送ってくるのです。
 今は、熱中症対策で子供たちはそれを持っているといいますから、なんとも贅沢なことです。
 活動しながらも、扇風機を独占しているのですから。

 学校の教室には、今は、私学ばかりではなく、公立の学校でも、冷房が設置されていますから、私の幼な子たちは窓を締めて、カーテンをして、冷たい空気を逃さないようにして、勉強をしているといいます。
 廊下は暑いから、休み時間も廊下には、もちろん、外にも出ずに、教室の中で過ごしているというのです。

 そんなことを聞くと、私、冷房装置の悪しき面をつくづく思うのです。 
 あれは、人の活動を大きく制限しまうって。
 だったら、扇風機の方がどれほどいいかって、そう思うのです。

 昔の光景が脳裏に浮かび上がってきます。

 夕方、庭先に水を打ち、そして、蚊取り線香を焚きます。
 縁側に皆で座って、手には近所の商店がくれたウチワを持って、それを何気に相手に向かって扇いでやっているのです。
 相手は、私に、それをしてくれます。そして、冷やされたスイカを頬張るのです。

 決して、豊かではないのですが、近所から、子供たちが、時には、早帰りした男たちがステテコ姿で、立ち寄って、まだ缶ビールなどなかった頃ですから、瓶のビールを手にして、茹で上がったモロコシの粒を指でしごいて皿に落とし、さぁ、食べなよって、そんな夕方の光景を、懐かしく思い出すのです。

 まさに、遠くなりにけり昭和の光景ではあります。

 その頃、私の家には、薄い水色をした、扇風機がありました。子供の手など、簡単に入ってしまいそうな、申し訳なさそうなガードの、背の低い扇風機です。
 それがうなりをあげて、庭先の縁台に腰掛け、ビールを飲む男たちに向けられるのです。

 大人になれば、扇風機の風をああして浴びることができる。なんという贅沢なことかって、羨ましく思ったのでした。

 あの扇風機、つくばに転居してくるまで、竹ノ塚の家にあったのです。東京を払って、こちらに来る時に、もはや、動くこともなくなった、その骨董の扇風機を、私は、処分しました。

 なんということをしてしてしまったのか、我が人生で、後悔すべきことがあれば、それに違いあるまい、そう思っているのです。

 それにしても、気になるのは幼な子たちが首にかけていたあの扇風機です。
 私の興味関心は、無残にも捨てられてしまったあの扇風機から、自分だけに風を送ってくれるあの令和の扇風機に移っていったのです。

 アマゾンで売っているかしら、今度調べて、そっと買ってみようって。



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幾多の物語がそこに

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 梅雨らしい
 暑苦しい日でした
 そんな雰囲気
 伝わりますか?




 年寄りばかりじゃないかって、そんなことを思うことが多いんです。

 ロードバイクに颯爽と乗って、向こうからやってくる方の、すれ違いざまに見るその表情は、明らかに年寄りのそれであったし、日曜日のつくばセンターの無機物が集まるが如くの広場で行われている集いでも、若い人たちの活動を鑑賞しているのは、いくぶん腰の曲がった年寄りの姿であったりしたのです。

 田んぼの仕事も終わり、きっと、近在の農家の人が、久方ぶりに都会の雰囲気を楽しむために、繰り出してきたのだとそっと思っているのです。

 数年前のことです。この「無機物広場」では、つくばに暮らす海外の人々のお国料理を自慢する集いが開かれていました。いかなるレストランも、真似できない、その国の家庭料理の味わいを堪能できた素晴らしい催し物でした。

 決して豪華なものではありませんが、エキゾチックなその味わいと、それを給仕してくれる方々の笑顔に、平和っていいなぁなんて思いながら、それを頂いていたのです。

 なんとも微笑ましくて、楽しい集いであったと私の中には今でもその様子があるのです。
 しかも、彼らは博士号を持ち、母国に帰れば、それなりの待遇を受ける人々であるのです。
 そんなことを思いながら、異国の地ニッポンで楽しく暮らしている姿を、私は微笑ましく思っていたのだと思います。

 この街には、こんなに多くの国から、こんなに素晴らしい人たちが来て生活をしてくれているんだと、そして、私は、その光景をゴールドコーストの日曜日の市の美術館の広場での集いとダブらせていたのです。

 あの街も、アジア各地から人々がやってきて暮らしています。
 オーストラリアにいながらにして、東南アジアの本場の料理をいただけるのです。それも、なんら遠慮のない、現地そのままの味で、それが提供されるのです。
 ですから、私などは、ゴールドコーストに居ながらにして、KLの中華街やインド人街で、中華やカレーを、そして、マレーのお米料理を堪能できたのです。

 それが、つくばでもできるんだと、そう思って、えらく感動をしたものでした。

 そう言えば、ゴールドコーストでも、年寄りたちが居たことを今更のように思い出します。
 白人の、この地で生まれ育ち、人生の大半を費やして老いた人々です。
 
 杖をつき、リュックを背負って、ゆったりと歩き、微笑みを浮かべて、店を覗き込んでいました。その笑顔の素晴らしいことといったらありませんでした。
 幾分くたびれたオージーハットをかぶり、これまた同じようなサファリスーツを着て、私と目があった老人は、私を慈しむように見て、笑みを浮かべました。
 
 どこから来たのかなって、オージー訛りの英語で問うてきました。
 ニッポンだといいますと、そうか、歓迎するよってそう言うのです。
 他愛もない言葉に、私、その日一日、気分が爽快だったことを覚えています。

 だから、私も、つくばの広場で料理を提供してくれた人々に、笑顔で感謝を表することができたのです。

 孫娘たちでしょう、彼女たちがその老人の手をとって、優しく導いていきます。
 その先には、パパとママがテーブルを確保し、食事の準備を整えていました。きっと、親子三代、日曜の美術館の広場で、ゆっくりと朝食をとりながら、まったりとした時間を過ごすのでしょう。

 つくばの日曜日のセンターの広場、私、気がついたのです。

 老人たち、一人であることを。
 一人で、ここにやってきて、一人で、都会のありようを堪能しているって。
 売られているのは、ケバブに、たこ焼き、そんなものばかりです。
 ですから、きっと、彼らの口には合わないと思いきや、彼らの何人かは、そのケバブを手にして、食べているではないですか。

 能でも、歌舞伎でも、老いを描く演目は多々あることを私は知っています。

 いや、むしろ、日本の演芸は、老いを楽しむことに重きが置かれているのではないかと思われる節もあるのです。
 翁や嫗の面を見れば、それがいかに美しく、同時に、醜さも併せ持っていることに気づきます。

 老いは、美しく、醜くもあり、その二つを併せ持って、ニッポンには昔からあったのです。そして、醜よりは美をことのほか強調するように仕組まれてきているのです。
 篝火に照らされた翁の面の陰のありように、怖さも見、美なるものも見て取ることができるのですが、それが怖さを優先していれば、この面を被った演芸は長生きをしなかったはずです。
 それが美を、醸し出すから、ニッポンの演芸は、長らく生き残ってきたのです。

 東銀座の歌舞伎座、その花道に沿った一番奥の席に陣取って、先代の團十郎の演目を見たことがあります。
 私の隣の花道の出入り口の幕が開く音が聞こえ、私は、右に首を向けます。一人の役者が團十郎に先立って出てきました。私の顔のそばに、背を低くした役者の白塗りの顔がありました。

 おや、シワだらけではないか、意外にも、老人ではないかと、私は、そのシワに覆われた顔のそのシワの中に押し込まれた白粉のヒビの入りように驚いたのです。
 ところが、團十郎に先を越され、追いかけていくその様は、老人のそれではありません。
 少年のごとくに、形式張った足の運びで、彼は舞台正面にまで一気に走っていったのです。

 彼は老人ではあるけれど、役者として、まだまだ、修行の身の、決して、主人公にはなれない生涯を端役で勤める、名もなき役者なのに、体は衰えても、役者としての振る舞いは一流だと、えらく感心をしたものでした。

 身体は老いても、磨きに磨いた芸の技は、まさに熟練されていたのです。

 きっと、風雪にあらわれた人生が、彼の演技をことさらに素晴らしいものにしているに違いないと、人間の角が取れて丸くなり、それが立ち居振る舞いに出て、人間として生きてきたさまざまの体験が彼に今まで営んできたゆらぎようのない自信を与えているに違いないと思ったのです。

 ゴールドコーストのオージーハットを被ったあの方も、つくばのセンターでケバブを頬張るあの方も、りんりんロードを軽快に走るあの方も、長い人生を生きてきて、己を磨き上げ、あるいは、苔むしたように古色蒼然した風情を保って、今があるんだと、だから、感動をさせてくれるんだと、自分の歳も忘れて、私、そう思ったのです。

 きっと、あの方々の中には、幾多の物語があるはずだって。



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プロフィール

nkgwhiro

Author:nkgwhiro
ご訪問
ありがとうございます

《7 / 23 🍙 Tuesday 》
 
🦅 ただいま、<カクヨム>にて『我が宅は埴生の宿なり』を発信しています。

 ささやかなる宿なれど 
  そは我が生涯のある証 



 何世代にもわたって、その地に根を下ろすのもよし、たった一代、好き勝手に人生の一時期を過ごすのもまたよしとおもうのです。

 故郷とか、家というのは、実に、はかない、せつない、たよりないものであるのです。

 でも、こころのどこかに、人の思いを感じることのできるそんな場所でもあるのです。
 だから、人は、その狭い空間に、はかなさ、せつなさ、たよりなさのほかに、懐かしさを感じ、時空を超越した感情を託すことができるのです。
 
下のリンク欄、一番上の<カクヨム>をクリックしてください。


【nkgwhiroの活動】

💝 <Twitter>で、『ものかき』として、朝と晩『つくばの街であれこれ』と題して、つぶやいています。こちらもよろしくお願いします。 

                                            💝 <Amazon・Kindle>で書籍の販売を始めました。7月28日、第一弾『一日千秋ーある日ちあきと』が配信開始になります。ただいま、予約受付中です。こちらもよろしくお願いします。値段は3ドル換算日本円になります。
 

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