日本人がものを綴るにはそれなりのわけがある

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韓国は慶州にある古墳です。円墳でしょうか。料理も美味しいし、人々の雰囲気も素晴らしい、そんな国なんですが、どうも政治になると、困ったことになります。昔から縁のある国、そっと見守ることにしましょう。


 アメリカが、太平洋で、日本と戦争をしていた時、アメリカ軍は強固に抵抗する日本兵に立ち向かい、やっとの思いで上陸したその浜辺で、まず行ったことがあると言います。

 それは、波打ち際で抵抗し、勇敢に戦い戦死した日本兵の胸ポケットから手帳を取り出すことでした。

 アメリカ軍には、日本語に堪能な兵士が伴われていました。
 自国の兵士の犠牲を最小限に抑えるため、日本兵の胸ポケットに入っている手帳から情報を引き出し、分析し、島の占領を効果的に行うためです。

 日本兵の多くが、各人に与えられた軍人手帳なるものに、鉛筆で、私的なこと、あるいは、上官の命令、挙句には、司令部の位置、味方の配置など几帳面に書き留めていたからだというのです。
 家族や子供たちを思って綴られた言葉に涙する米兵もいたと言います。
しかし、涙する暇もなく、島を占領するために、日本兵が綴る軍の動向は、アメリカ軍の戦い方を有利な方向に、少なからず導いたというのですから、驚きです。

 私的なこと以外に、一兵士が軍の動向をこと細かく綴っている軍隊など歴史上稀に見る出来事であったのではないかと思っているのです。
 そんなことを聞かされると、日本人は、よほど物を書くことが好きな民族であるようだと今更のように納得するのです。

 9世紀に著された『入唐求法巡礼行記』は、最後の遣唐使として、唐に渡った円仁という僧が認めた記録です。
 遣唐船の出発地や航路、また、唐の武宗が行なった廃仏といった歴史的事項が記載されている貴重な歴史的資料にもなっているのです。

 平安時代には、天皇のお側に仕える貴族たちが、『実記(じっき)』として、宮中における出来事を忠実に記載していました。
 やがて、自分の身辺に起こる出来事も記載するようになり、『実記』がなまって『日記』になっていったといいます。
 これらの『実記』は、男性が漢文で書くというのが一般的でしたが、「男もすなるにきというものを女もしてみむとてするなり」との一文で始まる『土佐日記』が綴られます。

 女に仮託して書くのですから、文体は漢文からひらがなを使った和文になります。

 以後、『蜻蛉日記』『紫式部日記』『和泉式部日記』『更級日記』『十六夜日記』と、宮中にくらす女官たちの日記が綴られ、一大ブームが京の都の上流社会で起こるのです。

 妻問婚という制度のある世の中を妻の立場から疎ましく思う心理を綴った『蜻蛉日記』。
 宮中の女房たち、それも和泉式部や清少納言を辛辣に批評した『紫式部日記』。 
 夫がありながら他の男性を愛してしまうという今時、いや昔からその手の話はあったことを示してくれる『和泉式部日記』。
 また、源氏物語に憧れ、平凡な結婚生活から孤独な老境、そして、仏教に帰依するまでを綴った『更級日記』は、平安期のある女の一生を生々しく伝えてくれます。

 まだ、世の中には発掘されていない<日記文学>もきっとあるはずです。
 
 近代では永井荷風の『断腸亭日乗』が印象深くあります。
 彼をして、昭和20年3月10日の東京大空襲を記録するために、この一冊子があると言わしめたものです。

 今、ネットを見れば、それらの『にき』が氾濫しているといっても過言ではありません。
 私の『つくばの街であれこれ』も、それに近いものであると思っています。

 でも、なぜ、そうまでして綴るのかということです。

 何かを書きたい、書かないと落ち着かないという理由では、適切な根拠とは言えません。
 きっと日本人の中に、今ある心境を文章にして残そうという遺伝子があるようにしか思えないのです。

 ものを書くには、文字が書けること、文章を綴る力がなければなりません。
 そして、その力は、実は、当たり前のことではないのです。
 基本的な教育の力がないと、そして、それを学びたいという意欲がないと身につかないものなのです。

 私のような世代では、一つ上の世代の、ろくに学校にも行けなかった人たちが難しい漢字を書けたり、故事成語を知っていたりすることに驚かされますが、それはひと世代前の人々に、貧しくて学校には行けないけれど、ものを知りたいという意欲が強くあったことを示して余りあるものがあると思っているのです。

 また、ものを書くには、それだけで可能とするものではありません。

 何かを感じる力、目の先のことをなんとかしたいという思いがなくてはなりません。そして、何よりもこれから何かが起こる、あるいは、起こさせるという予測可能な力がないといけないと思うのです。

 言うなれば、「展望」という魅力ある展開を予想する力です。
 
 兵士たちは、生きてきたという思いを書き残すことで、誰に託すということもない展望を一冊の手帳に書き残したのです。
 平安の女性たちもまた、今ある状況を綴りながら、もっと良い時代のありよう、女性のあり方を示してきたのです。
 荷風もまた、東京という巨大な街が燃え盛り、その中で自らがフランスやアメリカで買い求めてきた書籍が燃えていくのを見つめながら、新たな創造的な作品をものする気持ちを燃やしたに違いないのです。

 ネットを使って、多くの日本人がものを綴る背景には、そうした「文化」、ものを綴り、現状を伝え、各人の未来へ向けての展望がそこにあると思わねばならないのです。




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行間を読めと教わりました

コメントありがとうございます。
井上靖という作家が、原書にあたり、その行間に託された思いを汲み取れ、みたいな事を書いています。
つまり、権力者を向こうに回して、文章を書く人は、そこに何か、内包しているはず、それを読み取れというのです。
まさに、想像と創造の力で、原典に接しよということです。
私、これを大切な教えとして心に留めているんです。
これからもよろしくお願いします。

Re: 日本人の物書きのDNA

コメントありがとうございます。
私もそうなのですが、いつどこでも、何か書くものがないと落ち着かないのです。
ですから、モレスキンの手帳、あるいは、iPhoneで、常に何か書いているんです。
きっと、奈良時代から、そういう人がいたのではないかと、そうであるなら、これは日本人が遺伝子として
インプットされているものだと思うようになったのです。
ネットを見ても熟達した文章家がいますしね。
今年もよろしくおねがいします。

No title

こんにちは、初めまして。

JALの機内誌に浅田次郎さんが書かれている文章で先日、「最近はわからないことはスマホで答えがすぐにわかるけれど、最近の若者はそれと引き換えに『想像を働かせて議論する愉しみ』みたいなものを失っているのではないか」といった趣旨の文章を読みました。

戦時中の日本兵の皆さんがどんな気持ちで手帳に物事を書き留めていたか、想像すると心が痛みます。

ネット上には本当に多くの情報が溢れていますが、他人様が言っていることに共感こそすれ、それをそのまま鵜呑みにするのではなくて、それらから新しい何かを紡ぎだしていく、そういう「創造の愉しみ」を忘れずにいたい、と思います。

日本人の物書きのDNA

>何かを書きたい、書かないと落ち着かないという理由では、適切な根拠とは言えません。
 きっと日本人の中に、今ある心境を文章にして残そうという遺伝子があるようにしか思えないのです。

〇記事、拝見しました。
 確かに日本人は記録を残そうと思う気持ちが強い民族だと思います。
 その気持ちは、文字ができた平安時代頃に生まれたのか、それ以前からあったのか、興味深いところです。
 続報があれば楽しみです。
 草々
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