人の心 できれば誉高くありたいと

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あの森の、木々の間から、朝日が見えた。ここでは、朝日は水平線の彼方から昇りません。山の端からも昇りません。こうして、樹木の間に姿を見せるのです。恥ずかしそうに。遠慮がちに。


 一の谷で戦われたいくさほどさまざまな人の心が映し出されたものはありません。
 
 手柄を立てたい一心の関東の荒くれ武者、栄耀栄華をほしいままにし文武に秀でた平家の公達が血みどろの戦いを繰り広げたのです。

 義経は搦め手として、鵯越に立ちます。
 二頭の馬を放つと、一頭は転げ落ち、立つことはありませんでした。 が、もう一頭は見事崖を下って行きました。
 義経はそれを見て、二分の一の確率にかけて、七十余名の武者たちの先頭に立って平家の陣営に攻め込んでいったのです。
 武者としての決断、指揮者としての勇気、これに勝るものはありません。
 
 義経が降り立った反対側の西門の陣では、河原太郎次郎の兄弟が悲壮な覚悟でいました。
 我らは自らが命を張って手柄を立てなくてはなるまい、家臣がいるわけでもなく、兄はこれから平家の陣営に進んであっぱれ大将首をとって見せる、お前はそれを見届けて、故郷に言い伝えよと。
 それを聞いた弟は、兄が死ぬることを覚悟していることを悟り、兄を残して故郷に帰ったとして、何の手柄かと、共に攻め込んでこそ、功名の誉と言い放つのです。

 平家の侍たちは、たった二人で斬り込んで来た兄弟の勇気に、東国の荒くれ武者というものはげに恐ろしきものなりと驚嘆します。
 果敢に戦うも、多勢に無勢、兄弟は備中の弓の名手、真名辺五郎の弓に射られ、首を取られてしまうのです。
 しかし、その武勇は、故郷ばかりではなく、時代を経ても、こうして読み継がれているのです。
 誉ある関東の若武者兄弟の有り様です。
 
 反対に、その名を貶めた関東の武者も一ノ谷にはおりました。

 平家方に越中前司盛俊という率直なおかつ剛のものがおりました。主君らを船に逃し、ここが我が最期の戦いの場と覚悟、そこへ猪俣小平六則綱という源氏方の武者が現われます。これもまた剛力の武者、互いに組みあい、盛俊が馬乗りになり則綱の首を取ろうとした時、則綱が言います。

 お前、我に名を名乗ったか、と。いくさはお互いに名乗り合ってこそ手柄にもなるというもの、と言うのです。
 率直なる盛俊は、それもそうだと言って、刀をおさめます。
 二人は畦に腰を下ろし、しばし歓談となります。
 まことに悠長な時代ではあります。

 そこへ、源氏の侍がこちらに向かって来ます。刀に手をやる盛俊、すかさず、その足を踏んで、田に倒し、首をとったのは則綱でした。
 武勲を挙げたとはいえ、だまし討ちしてとった栄誉などと、武者仲間ではさほどの評判にもならなかったのです。
 もちろん、時代を経て、それを読む今時の人たちも、口数を弄してのありように感心はしていないのです。

 平家方にも恥ずべき武者がおりました。

 あの南都焼討を行なった重衡の乳母子の後藤兵衛盛長です。
 乳母子といえば、幼い頃から共に育ち、最期まで主君と共にあるべき存在です。

 木曽義仲がいくさに敗れ、もはやこれまでと気弱になったときに、乳母子の今井四郎兼平は、兼平一人になったとしても武者千騎と思いなさいと檄を飛ばし、敵を防ぐ間に自害をと、武者は最期が肝心と、主君に尽くすのです。

 この日、重衡と盛長は武運拙く負けいくさ、ひとまず落ち延びようと馬を走らせます。しかし、そこに梶原源太景季、庄の四郎高家が追いつきます。
 重衡らの乗る馬は名馬中の名馬、源氏の血気盛んな武者の追撃を払いのけます。
 景季は弓の名手、鐙に踏ん張って、遠矢を放つと運良く、それが重衡の馬に当たります。もんどり打って倒れこむ重衡、それを見た盛長、主君に手を貸すどころか、馬に鞭を当て、鎧につけた平家の印赤布を剥ぎ取り逃げていってしまったのです。
 これまで、ともに育ち、面倒も見てきた乳母子が逃げて行く様に落胆した重衡は、その場に座り腹を切ろうとします。

 そこへ追いついてきたのが高家です。
 なりませぬと切腹を止めたと言います。
 のち、重衡は鎌倉で頼朝と面会、政子もその人柄に感激しますが、南都焼討の張本人として、最後は南都で処刑されます。

 さて、逃げた盛長は姿形を変えて生き延びますが、その素性はすぐに知れ渡り、都人からは歯牙にも掛けられないという始末になったのです。
 現代の私たちも、時代こそ違え、人の心を踏みにじる卑しきものと思うは間違いのないことです。

 今ひとつ、お話があります。
 あくまでも優雅な平家の公達と無骨な関東武者のお話です。

 平家の公達を討って手柄をたてたい一心の岡部六野太忠純、一人の武人を発見、どなたでござるかと声をかけます。
 その武人、振り返り、お味方でござると。
 しかし、忠純その口元にお歯黒があることを見逃しませんでした。お歯黒をつけるのは平家の公達、それも高いくらいの武者に違いないと戦いを挑みます。

 お歯黒をつけているとはいえ、熊野育ちのこの平家の公達、忠純に三太刀をくらわし、馬乗りになって忠純の首を取ろうと馬乗りなります。そこへ、忠純の息子が駆けつけ、馬乗りになった武者に斬りつけるのです。
 深手を負ってしまったお歯黒の武者は、もはやこれまで、我が首を取れと、念仏を唱えます。
 その念仏が終わる前に首ははねられたのです。

 力ある優雅な侍と念仏も終わらぬ先に首とる無骨な侍ではありました。

 首を取られた武者の鎧の中に懐紙があり、そこには一首の和歌が認められてありました。

  行き暮れて 木の下陰を 宿となせば 花や今宵の 主人ならまし
 
 無骨な関東の侍にはそれが意味するところはわかりません。
 しかし、多くのものが、武芸にも歌道にも通じた薩摩守忠度卿が打たれ申したと嘆いたのでした。

 この関東の武者に多少の教養があれば、それなりの作法でこの名のある武者の首もとれたものをと、後世の私などは思うのです。

 今の時代、どこもかしこも権力闘争華やかし中で、後世に誉ある名を残す御仁もおれば、悪名を残す御仁、末代まで蔑まれる御仁もおられるかと思います。

 ぜひ、今一度、一の谷の合戦の有り様を振り返り、卑怯なる振る舞い、無粋な振る舞いで、名が残ることのないよう、心して置かれたいと思っているのです。




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