義理でもチョコには力がある

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鎌倉でピッザを食べて、浜を歩きながら、振り返ると、そこに富士が見えました。とても綺麗でした。


 チョコレートの話題で盛り上がる季節となりました。

 ショッピングセンターなどいけば、派手な看板が、これに乗り遅れると一大事だと言わんばかりに掲げられています。
 
 これでも、学校にいるときは、随分と手作りの心優しいチョコをもらったものです。
 それでも、隣の席の若い、カッコイイ先生が授業から帰ってくるたびにたくさんのチョコをもらっているのを素知らぬふりして、ちらっと見ては、複雑な心境になっていたものです。

 この国は、なんて贈り物が好きな国民なんだと、妙に批判的にもなったことを覚えています。

 実際、私たち日本人は、贈り物、人にものを与えることが多い風土の中で生活しています。
 お年玉に始まり、チョコをあげる風習、どこかに出かければお土産を必ずといっていいほど買っては配ります。
 それに、お中元に、お歳暮もそうです。
 結婚式などにお呼ばれすれば、たいそうな額を包んで渡します。

 そうそう、結婚式のご祝儀といえば、こんなこともあったのです。

 アデレイドでホームステイさせてもらい、長い付き合いになったオージーの娘さんが結婚するというのです。その娘さんは、日本に留学した経験もあり、つくばの私の家にも長い期間逗留していましたから、招待を受けるのはなんら不自然ではありません。むしろ、光栄なことでした。
 それで、その式をメルボルンで行うから、ぜひきて欲しいと招待状をもらったのです。
 どうしても動かせない仕事が入っていて、式にはゴールドコーストに暮らす娘に行ってもらいました。もちろん、娘も面識があります。なにせ、小さい頃は遊んでもらったお姉さんです。

 さて、こういう場合、ご祝儀はどうするのかと思案したのですが、招待状をよくみると、それらしいことが書いてあります。

 指定されたアドレスにアクセスします。
 そして、私のクレジットカードを登録します。
 最後に、印のついていないいくつかの項目をクリックすれば、それがご祝儀です。

 つまり、新婦がこれから始まる新生活に必要なものを皆が買い揃えてあげるのです。そこに示された項目は新婦が欲しいもの一覧であったのです。
 買い揃えてあげるものの値段はまちまちで、早い者勝ちです。
 もちろん、早くしたから安いものということはありません。
 私は、その仕組みがよくわからなくて、ギリギリになってしまったのですが、残っているもの中から、キッチン用品のいくつかを選んだのです。

 そして、娘には、日本式にご祝儀を包んで渡してくれと告げたのです。
 彼女は、日本に長い間暮らしていますから、日本のご祝儀のこともよくわかっているはずです。
 娘からは、本人はたいそう喜んでいたと言いますし、周りのオージーはその豪勢な紙の袋はなんだと、随分珍しがられたと言ってました。
 結婚式の余興としてはそれなりによかったのではないかと思っているのです。

 でも、オージーにしろ、欧米人というのは、実に合理的にできています。
 日本人なら、客として相手の家に行くときは、そこそこの値段のものを持って行くと思います。
 しかし、我が家に来た彼らは、ほとんどが自分の街の絵葉書であったり、カレンダーであったり、本当にささやかなものを持って来ます。
 
 習慣とか、風土の違いがよく出て面白く感じます。

 日本では、親しい人よりはむしろそうでない人に対してお近づきの印にと、あるいは上司に世話になっていることへの感謝にものを贈ります。
 ところが、けったいな人もいるようです。
 一般企業に勤める私の友人が憤慨して語っていたことがあります。

 その友人、新しく赴任して来た上司に、ちょうど中元の季節だったので、デパートからそこそこのものを贈ったとところ、それが返却されて来たというのです。
 そして、その返却品を持って来た運送会社の人が、随分と失礼な方でしたよという一言を添えて返却して来たというのです。
 運送会社の人が、憤慨していうのですから、よほど失礼な態度で接したのでしょう。

 その上司の方、ドアーをチェーンをかけたまま開けて、送り主の名前を見て、いらない、持って帰れと言ったそうなのです。
 本当かいと私、友人に尋ねたのですが、本当だというのです。

 あまりにひどい話なので、運送会社の人に詳しく話を聞かせて欲しいと言って、聞き出したのだから本当だというのです。
 後日談がありまして、その偏屈な上司というのが、ものの数ヶ月でいなくなったというのです。
 思うに、人の情というものを解せない人だったようで、部下ばかりではなく、上の人とも意思疎通ができなくて、たらい回しにされて、挙句に、退職する羽目になったというのです。
 日本にいながら、日本の風土を理解できない、それがために、自らを追い込んでしまったとでも言ったらいいのでしょうか。
 あらたまった言葉ではなく、ちょっとしたものを贈り、気持ちを伝えるという日本式の人間関係が備わっていないことの典型だと私思っているのです。

 人は、絵葉書の一つでも貰えば嬉しいものです。
 それは、気持ちがそこに見えてくるからです。
 中元や歳暮なども、言葉でまどろっこしく言われるより、ちょっとしたものを贈られれば、その意思が通じる社会なのです。
 それを、送り主をチラッと見て要らないから返せ、では意思も、気持ちも、何より、風土の解さない下衆のやりようになってなってしまいます。
 
 この話を友人から聞いた時、一見無駄なもののように思える贈り物も、実は大いに社会の潤滑油になっているんだと思ったものです。

 そう考えると、チョコも、それがたとえ義理であっても、大いに社会に貢献しているということです。




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