師走と卯月の八の日

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真面目で、一生懸命努力する年若い子供たちが大活躍ですね。張本くん・大坂さん・藤井くん、それに大谷さ〜ん。こんなに若い人たちが世界の人をびっくりさせているんですから、立派だと言われている大人たちのやっていることが情けなくなるのです。



 はて、四月八日って、何の日だろうとふと思ったのです。

 全国各地で行われるであろう入学式の日。
 多少学校の事情などで、日にちは前後しますが、決して、間違いではありません。でも、そうではない、別に何か、そう、特別な何かがあったと頭をめぐらすのです。

 師走の十二月八日は、ジョンレノンがダコタハウスで撃たれてしまった日であり、日本海軍が真珠湾を攻撃した日であることは、よくわかっているのに、卯月の四月八日に何があったかはすぐに思い出せないのです。
 ネットで調べれば、そのくらいすぐに出てくるはずですが、いま、しばらく、ビット数の少ない私の脳で探りを入れたいと思っているのです。

 国語の教師であった私は、次第に、四月八日に「灌仏会」なる行事が行われていたことに思いが至ります。国語の教師は、いうまでもなく、教科の中でも、「何でも屋」に属する分野です。
 生物とか、物理とか、地理とか、いろいろな教科がありますが、指導する範囲がそれらの教科ほど狭くはないのです。

 基本的には、現代文、古文、漢文になります。
 取手の学校にいた時には、僕は現代文の先生、君は古典の先生などと分けることなく、すべてをこなせと上司から言われ、おおいに頑張ったものです。
 おかげで、いろいろなことが勉強できたと、感謝しているのです。

 「灌仏会」
 思い出してきました。

 『源氏物語』「藤裏葉」の巻でのことです。
 光源氏の住まいである六條院において、宮中のそれをもしのぐ盛大な<灌仏会>が行われたのです。

 准太上天皇と呼ばれる、上皇に匹敵する地位をまもなく得ることになる光源氏、御歳も四十になろうとしています。すなわち、光源氏絶頂の時代のことです。
 絶頂があれば、次は衰退の期がおとずれます。
 ですから、ここでは、光源氏の息子夕霧が、そして、光の友左大臣の息子柏木が元気な姿で登場してくるのです。
 
 当時、仏教は国家宗教から個人が崇拝する宗教にまで普及していました。
 現実の世界では、宇治平等院が藤家によって造営されたのもこの頃です。
 
 仏教が身近にあり、信仰され、その功徳を人々が享受していた時代だったのです。

 そんなことを思い出しますと、私の脳に、子供のことのある光景が出てきました。
 それは、私が暮らしていた竹ノ塚の街の隣町にある西新井という街でのことです。
 私はそこにある西新井大師によく自転車でツーリングをしていたのです。ツーリングなどというと格好いいのですが、子供用の自転車にまたがり、ブラブラと流れていっただけのことです。

 境内に入ると、さすが天下に名の知れ渡ったお大師様です。
 随分と人が出ています。大師駅前からつながる参道からは団子の焼けるいい匂い、それに、煎餅を焼く匂いも漂っています。
 この辺りでは唯一の映画館もあります。

 そんな折、私は一種異様なメロディを境内で耳にしたのです。
 境内のそれは東屋から流れて来ていました。
 年老いた男女が、大きな数珠の輪を隣に流しては歌っていたメロディです。

 後日、私にはそれが<御詠歌>だとわかるのです。
 御詠歌とは、巡礼者が、そこの仏をたたえてうたう歌なのですが、子供の私には、あのおじいさん、おばあさんがやがていくであろうあの世のことを讃えている歌に聞こえたのでした。
 私は、開け放たれた扉の向こうで老人たちが、薄暗がりの中で、輪っかになって数珠をめぐらし歌っている姿を見て、あの人たちがこの世の人ではない錯覚を抱いていたのです。

 そして、一人の老婆が扉のそばの階段におっかなびっくりで視線を送っている私を睨みつけたように感じたのでした。
 あの世の得体の知れないものから睨まれた感覚でした。
 私は、自転車にまたがり、走り出したのです。
 境内の砂利道で転び、自転車を引いて、竹ノ塚の自宅まで一目散に走って帰った。
 そんな思い出です。
 
 『源氏』を教える際に、「灌仏会」について当然調べます。

 釈迦は、2500年ほど前の4月8日、ネパールのルンビニーの花園で生誕したと言われています。
だから、「灌仏会」のことを、「花まつり」ともいうのです。
 では、その「灌仏会」に甘茶を注ぐのはなぜか。
 釈迦の誕生を祝して、「竜王」が香水(こうずい)を注ぎかけたという伝説があり、その香水を甘茶として、私たちはかけるのです。
 ちなみに、「灌」という字は、注ぐとか流し込むという意味を持つ漢字です。
 「灌漑」「潅腸」という言葉から、それは推測が可能です。

 国語の教師というのは、ここまで調べるのです。
 そうしないと、教える方も、教えるのが中途半端になりますからね。

 四月卯月の八の日の出来事がわかって、ホッとはしたはのですが、どうも、中途半端な感じが残るのです。

 私たち日本人は多くが仏教徒です。
 にも関わらず、キリスト様の誕生日は盛大に祝い、お釈迦様の生誕の日はさほどのことはない。
 これは問題だと思うのです。

 お経をあげるのに何十万をとったり、檀家から離れようとすると大枚の金額を要求したり、どこかの有名なお寺では、セクハラだ、パワハラだと解任されるお坊さんも出る始末です。

 もう少し、ちゃんとしないと、それこそ、御詠歌を歌っていたあの婆さんに睨まれますよとご忠告をしておきたいと思っているのです。




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