やさしい日本語

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誰も教えないのに、スクロールをしたり、タップをしたり、子供達は大人の仕草を見て、真似します。その脳の力はすごいものです。


 「凹・凸・卍」

 いきなりなんだと、思われる方もおられると思いますが、さて、日本語は得意だと思っている方も、そうでない方も、その正しい書き順を示してくださいと言われると、ちょっと首をひねってしまうのではないでしょうか。

 文字というのは、正しい書き順を守って書くことで、美しく見えるものです。
 だから、悪筆の方は、正しい書き順で書けば、必ず綺麗な日本語を書くことができるようになるのですが、この手の文字は滅多に書くこともないので、いざ、書き順と言われると困ってしまうのです。
 
 私は、中国文学を専攻して、国語の教師になりましたから、日本文学や国語教師となるために専門の教育を受けてきた方々に比べると、著しく基本的な力が不足していることを自覚していました。
 その代表的なものが「書き順」です。
 ですから、板書する字を、事前に確認して、最初の頃など教室に行ったものです。

 「先生、書き順が違います!」なんて言われたら、国語の先生として立つ瀬がありません。

 先だって、久しぶりに近くの書店に気になる本を探しに行ったのです。
 さほど大きな書店ではありませんので、その気になる本はありませんでしたが、実は、そのとき、美しい女性から声をかけられたのです。
 目の玉が大きく、キラキラしたアラブ系の女性です。
 アラブ特有のスタイルではなく、そこらへんにいる普通の女性の装いでした。

 私と同じく探している本がなかったようです。
 で、この近くに大きな書店はないかと、流暢な日本語で尋ねてきたのです。
 私が、このとき、車できていたなら、車に乗せて、近くに大型ショッピングセンターにある書店に連れて行ってやることもできたのですが、あいにくと私は徒歩でした。
 つくばには、大学や研究所がありますから、ここに暮らす外国人の多くが日本語で意思疎通をすることができます。私が勤めていた土浦の学校でも外国人教師がいましたが、彼らもまた、流暢な日本語を喋るのです。そればかりではなく、彼らは漢字やひらがな、カタカナを書くことができるのです。

 アメリカからやって来た若い教師がいました。そして、よく、彼は私のところにやって来ました。
 この字の書き順を教えて欲しいとか、この日本語の意味は何かなどと、とても熱心なのです。
 なんでも日本語検定試験の上級を受けるのだと言います。
 ですから、私もいろいろと教えてやりました。
 
 そんな時、彼がこんなことを言ったのです。
 あなたが生徒たちに喋る日本語には、ずいぶん<カンゴ>が多いですね、と。

 私ばかりではありません。
 多くの日本人が喋る日本語の80パーセントほどが<漢語>ではないでしょうか。もはや、日本古来の「大和言葉>は消滅しつつあると言っても過言ではありません。
 俳句とか和歌、それに、小説などの文学作品でしか見られなくなると言ってもいいくらいなのです。
 
 で、彼がそんなことを言うには、理由があったのです。

 避難訓練をしている時のことです。
 「避難」しろ、校庭に行く際は「私語厳禁」だ、なぜ、「逃げる」とか、「無駄な話をするな」とは言わないのかと彼は言って来たのです。
 その数日前にも、体育祭が雨で延期になり、予備日も一日しか取れないので、その日は「小雨決行」となったのですが、その時も彼が来て、私が「しょうう」と言ったことに対して、これは「こさめ」ではないかと言って来たのです。
 
 「しょうう」といえば漢語表現です。「こさめ」と言えば大和言葉です。
 私は、自分が大和言葉より漢語を使っていることにあらためて驚いたのです。
 「しょうう」と読んでも、「こさめ」と読んでも間違いではないことを伝え、その言葉の出所を伝えると彼は、こうも言ったのです。
 なぜ、「少雨」とは書かないのかと、私が彼に説明するために書いたメモを指差し問うのです。

 これにはちょっと困りました。
 あまり考えることでもなかったからです。
 「少雨」と言うのは、雨が少ないことで、シーズンを通じて雨が少ないなどと使うことで、「小雨」とは、まさに「こさめ」と読むように、雨が降っていてもそれが小降りであると言うことだと、どうにか伝えたのです。

 彼は、アパートでの日常生活でも、可燃ゴミとか、減塩とか、そう言った言葉の使い方が気になっていると言いました。
 燃えるゴミ、塩分の少ないというより、私たち日本人はコンパクトに言える漢語を重宝しているのです。

 それに、もう一つ、平安の昔から、漢語に対して一種の劣等感を持っているのではないかと思うのです。
 外から来た文化をありがたがる傾向がそれです。

 それはカタカナ文化にも表れています。
 今をときめくIT関連の話題を語る時、大和言葉も、漢語も使うことはできません。
 すべて、英語をカタカナにして、そのものを表記し、口に発するのです。
 
 2020を前に、欧米やアジアから、多くの人々が日本を訪れます。
 災害やテロなど、緊急を要する出来事に際し、彼らにもわかるやさしい日本語が必要だと思うのです。
 
 やさしさは、易しさであり、優しさでもあるのです。

 2020を契機に、「やさしさ」のある日本語を心がけていけば、学校や職場でのいじめやパワーハラスメントも、国会で議員さんが使うえげつない言葉もなくなり、日本はもっと素晴らしい国になるのではないかと期待するのです。

 で、「凹・凸・卍」の書き順ですか。

 それは、どうかご自分でお調べください。
 厳しくするのも、「やさしさ」のうちであります。




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