明治五年という年

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子供の笑顔は、何ものにも変えがたい力を持っています。子はかすがいとはよく言ったものです。夫婦間も、家族間も、何事も解決へと導くきっかけになります。しかし、それを踏み潰す所業が新聞を賑わします。彼らの心に何があるのでしょうか。



 日本の歴史の中で、明治五年という年ほど目まぐるしく動いた年はありません。
 何かに取り憑かれたように、一気にことを運んだ、そんな気がする年なのです。

 教育の世界では、「学制」なるものが定められました。
 <邑に不学の戸なく、家に不学の人なからしめんことを期す>と標榜し、全国に8大学、256中学、5万3760小学校の設立を意図したのです。
 しかし、教育費は各家庭が払うなどまかりならんと反対意見もあり、さらには、当時の日本人が教育に抱く実情に合わず、学制は、七年程して「教育令」にとって代わられるのですが、それでも、その構想は明治の若き官吏たちの理想が伺えて、頼もしく思うのです。

 現在の日本には、大学が764校、高等学校が4,907校、中学が10,325校、小学校が20,095校あります。
 それもこれも、この明治五年の学制から始まったものと思えば感慨深いものがあります。
 その後の日本が、高い教育レベルを保ち、広い視野を持ち、勤勉に働く国民性を培うことができたのも、ひとえに教育のありようが大きく作用していることはいうまでもありません。
 
 もう一つ忘れてならないのは、<鉄道>です。
 9月12日、新橋横浜間29キロの距離を、約1時間かけて、日本初の鉄道が開通したのです。
 あの煙突の長い、イギリスから輸入された<150形蒸気機関車>は、日本では<1号機関車>と呼ばれ、この日は、朝10時、新橋停車場を出発しました。いまの汐留駅付近になります。ちなみに、横浜駅は、いまの桜木町駅となります。
 1号機関車には、お召し列車が連結されていました。もちろん、明治天皇がご乗車あそばしていました。
 
 明治十年には、京都神戸間、明治二十二年には、東海道本線が開通するのですが、「学制」同様、反対運動も起こりました。煙を吐く得体の知れないものを走らせるなどもってのほかであるというのです。
 反対派には薩摩の西郷や大久保などもいたと言いますから驚きではあります。
 ですから、薩摩屋敷のあった芝や品川あたりでは用地買収が進まず、新橋横浜間の10キロ程度は築堤をした海の上に線路が敷かれたというのです。
 そのため、当時の人は、これを蒸気船ならぬ、<陸蒸気(おかじょうき)>などと呼んだのだいうのです。

 反対派の主な言い分は、鉄道敷設がきっかけになりアジアアフリカで欧米列強による植民地化がなされた点にあったと言われていますが、日本がその例に入らなかったのは、おそらく明治官吏の卓越した経済政策の賜物であるとも思っているのです。

 さて、鉄道ファンなら、我が国の鉄道記念日が10月14日であると知っていることでしょう。新橋横浜間に最初に鉄道が走った日を記念してそれが定められたということも知っているでしょう。

 では、先に書いた9月12日というのは誤りなのかという疑問が呈されますが、実は、明治五年には、そのちぐはぐさが起こる決定的な出来事が起こっているのです。

 「來ル十二月三日ヲ以テ明治六年一月一日ト被定候事」

 なんという難しい文言でしょうか。
 「太政官布告第337号、改暦ノ布告」の一文です。
 
 明治政府は、グレゴリオ暦1873年1月1日に当たる明治5年12月3日を明治6年1月1日とすることを通知したのです。
 これを、明治改暦と言います。
 それまで使っていた「天保暦」を廃止し、太陽暦を使い、欧米の暦に一瞬で改めたのです。
  
 布告されたのが、天保暦で11月9日です。およそ一ヶ月後に暦を一気に改めるというのですから、たまったものではありません。
 今でさえ、来年の天皇陛下のご退位と皇太子様の御即位の日程が定まらないと暦関係の業者は大変なのに、わずか一ヶ月では、業者はにっちもさっちも行かなかったことだろうと思います。
 案の定、当時の業者は時期も時期ですので、来年の暦をすべて回収、新たに作り直したと言いますから相当の損害を被ったものと思われます。
 
 なんでも物事には裏表というものがあります。
 これなども、表向きは不平等条約の改正に当たり、欧米の使う暦をもって、その起爆剤にしたいということであったのですが、裏向きは、政府の財政困窮がありました。
 一体、どういうことかと言いますと、天保暦では、翌年は閏月があり、1年が13ヶ月になるのです。
 つまり、官吏に支払う莫大な給金を1ヶ月分でも減らそうという苦肉の策であったというのです。

 まぁ、事の真偽はさておくとして、その改元のために、鉄道記念日は、旧暦9月12日ではなく、新暦10月14日になったというわけなのです。

 明治五年、私にはもう一つ、お知らせしたい布告が出ているのです。
 太政官布告第339号「大礼服及通常礼服ヲ定メ衣冠ヲ祭服ト為シ直垂狩衣上下等ヲ廃ス」というものです。これまた難しい言葉の羅列ですが、要は、これまでの「衣冠直垂」に代わり、通常礼服として燕尾服を、通常服としてフロックコートを着用するよう制定されたということなのです。

 教育も、鉄道も、もちろん、重要な変化ですが、衣服が洋装になるということは滑稽であると同時に、日本人のあり方に決定的な変化を及ぼしたと思うのです。
 ビートルズがやってきて、長髪の男子が一気に増え、世代間の軋轢が高まった時代を私は体験していますが、おそらく、明治五年の服装の大転換はそれ以上のものがあったと思うのです。
 
 学校では、大切な式典に上司は必ずモーニングを着て臨みます。
 あの日の布告が今に生きている立派な証拠です。
 また、結婚式では、私たち一般の人間も、あの布告にしたがい、服装を改めるのです。

 堅苦しいことですが、けじめの日に、あるべき服装になるというのは、社会生活の上で、結構大切なことであるのです。
 
 明治五年、官吏たちも大変でしたが、国民も大変でした。
 でも、それがあったから、日本はアジアの中で、特異な国として、一時代を作り上げていくことができたのではないかと思っているのです。
 もちろん、失ったものもありますが、いま現にある日本の形を、元に戻すことはできません。
 だったら、その元となった出来事を知り、その流れを受け止め、今を受け入れるしかないのです。

 そうそう、ゴールドコーストでの話なんですが、ギリシャ料理のレストランを予約したのです。
 電話の向こうで、ドレスコードがあるというのです。 
 聞いて見たら、至極もっともなことでした。
 
 ビーチサンダルはお断りします、ただそれだけだって言うのです。

 あの国もいい国です。そう思いませんか。




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人が誰でももつ弱さに対して、寛容になれない。むしろ、反対に、弱さをそこに見てとれば、容赦なく攻撃を加えていくのです。そんな少年がいるのです。>

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