物売りの声

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子供でも、哲学をするんです。私たちの記憶を紐解くと、幼い頃、いろいろと考えていたことを思い出すはずです。椅子に座り、ガラス窓の向こうにある庭をただ見ているのではないのです。そんな子供の姿です。



 寺田寅彦に『物売りの声』という一文があります。
 その「物売り」の声が聞かれなくなったことに対して、このように寺田は書いています。

 「普通教育を受けた人間には、もはやまっ昼間町中を大きな声を立てて歩くのが気恥ずかしくてできなくなるのか、売り声で自分の存在を知らせるだけで、おとなしく買い手の来るのを受動的に待っているだけでは商売にならない世の中になったのか、あるいはまた行商ということ自身がもう今の時代にふさわしくない経済機関になって来たのか、あるいはそれらの理由が共同作用をしているのか、これはそう簡単な問題ではなさそうである。」

 さすが、物理学者、考えることが理に適っていると思いました。
 教育の向上が、人間に恥ずかしさというものを知らしめたとか、社会状況の変化が、物売りの存在をよしとしないものとなったなどというのは、今の時代にも共通する事象としてあります。

 教育のせいばかりではありません、社会的な豊かさ、清潔感の向上、健康志向の高まりが、一方で、喫煙の弊害を子供たちに知らしめ、同時に、<汚い・きつい・危険>な仕事から人を遠ざけていったのです。

 消費者は横着なものです。
 安いところへと流れる傾向を持ち、そのため、各店舗でいかに安く売るかを競う時代があったかと思えば、今度は、便利さを重視しだし、今の時代、ネットで居ながらにして買い物です。夕飯でさえ、ネットで注文し、届けてくれる時代なのです。
 そのため、一方で、昔ながらの人情味あふれる商店街がシャッター街となってしまいました。

 今、そのネットでものを買うということにも変化の兆しが見えてきました。
 第一に、それを配達する要員が不足し始めてきたのです。いかに、注文が便利でも、配達が遅れては話になりません。
 それ以上に、ネットでの情報管理にも不都合が多々見られるようになってきました。
 知らずに、好みを察知され、パソコンを開けば、これ買え、あれ買えとやられてはうんざりです。

 時代は、また、新時代を迎えるために頭をひねって行くに違いありません。

 朝の眠気がまだ残る中で、台所から大根を刻む音が聞こえ、外では、<ナットー、ナットナットォ〜>と、自転車に乗った納豆売りの声が途切れ途切れ聞こえ、それを追うかのように、豆腐屋のラッパの音がしています。

 寺田の一文を読んだ翌朝、私はおぼろげながらに、朝方の夢を見たのです。
 そうだ、確かに、そんな時代があったのだと、寝床で体を丸めて、耳を済ましたのです。しかし、あれからゆうに半世紀が経過し、そのような物売りの声が、このつくばの田舎町にするわけがありません。

 耳を澄ませて、聞こえるのは、白菜を栽培しているあの農家の家で飼われている鶏の刻を告げる声でしかありません。

 ふと、ロンドンのマリルボーン駅での出来事を思い出しました。
 オックスフォードでしばらく暮らしていた時、休暇を使って日がなロンドンをブラブラしたことがあるのです。あれは確かバッキンガム宮殿でかの有名な衛兵交代の様子を垣間見て、その後、近くの停留所から、何気に二階建てバスにのりこみ、二階の一番前の席に陣取り、乗合バスを観光バスよろしく楽しんだ日のことでした。

 はて、このバスはどこへ行くのだろうか。アナウンスを聞いているとマリルボーン駅だというのです。
 それは結構だと私は愉快になりました。
 なぜなら、その駅は、一度は尋ねて見たい駅だったからです。

 ケンブリッジにいる時は、キングスクロス駅。オックスフォードに行くには、パディントン駅を利用するのが私のこれまでの決まりです。
 ですから、マリルボーン駅にはなかなか行く機会がなかったのです。

 で、なんで、マリルボーン駅なのかって、もう少しその辺は待ってください。

 さて、二階建のバスの最前列中央は、ロンドンの横丁を観光するには最高の場所だと得意げに、バス旅行を楽しんだのです。
 信号で止まったバスから階下のロンドンに暮らす人々を見ますと、実に雑多な顔があることを知らされます。明らかに異国の人たちの顔です。これだけ、この街には異国から人が入って来ているんだとつくづく思うのです。

 バスは大通りから横道に進路を変えます。 
 レンガの建物がせめぎ合う中をバスは進みます。いつも思うのですが、この街の建物というのは、なぜ、入り口が狭いのかとと。病院でさえ、ロイヤルと名前を持つくらいですから、れっきとした病院なのに、入口などシャレにならないくらい狭いのです。そんな病院前の停留所をすぎて、また大通りに出ます。

 このバスは大通りと横丁を出たり入ったりして、客を目的地に運ぶバスのようです。
 そして、バスは終点、マリルボーン駅につきました。

 外観は、あの時と何ら変わりはありません。
 いや、私は、あの時、外観など見てはいないのですが、それでも懐かしさを持ってそう思ったのです。
 しかし、内部は随分と近代化されています。昔、私が見、想像していた趣は一向に感じられません。

 あなた、一体、一人で何を語っているの? とそんな声が聞こえて来ます。

 このマリルボーン駅は、あの<A Hard Days Night >が撮影された駅なのです。
 ですから、私は、一人、この駅舎にあって興奮状態にあったのです。
 映画で見て、目に焼き付いている映画冒頭のシーンさながらのシーンがそこにあるのではないかと。

 しかし、時代というのは酷なものです。

 跡形もなくそれらは歴史の彼方に吹き飛ばされていました。
 それでも、私はこの駅で、何をするわけでもなく、お茶を飲み、軽食を口にして、あちこちを歩きながら、かつてのあの時間を共有しようと取り組んでいたのです。
 そして、いつの間にか夕方です。
 そろそろ、おいとましようか、こんばんはソーホーのチャイナタウンで美味しいワンタンでも食べるかと思っていた時でした。

 私の後ろで、新聞を売るために準備をしていた爺さんが、急に大きな声を張り上げたのでした。
 高い、それは、伸びる声でした。
 <パイパ〜、パイパ〜、……>
 そうして、帰途につく人々に新聞を売っているのです。  

 その声を聞いて、この国には、まだ、物売りの声が生きているんだと、私は愕然としたのです。

 そんなことを私は思い出したのです。
 時代は変遷し、記憶の中でセピア色になって行くのは致し方のないことです。それらは一人一人の心の中で、淡い光を放って、あり続けるものなのです。

 物売りの声の余韻を耳の奥にしまい込み、さて、今朝も起きるとするかと私は布団を跳ね除けたのです。




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