Sdaeh rieht edih dna nur yeht semoc niar eht fI

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明日は雨の予報です。先だっての日曜日、雨が一日中振り続けました。春の雨は冷たくはありませんが、なんだか気分がうっとおしいものです。そんな雨の日に……。


 また、訳のわからない横文字を連ねて、何をしようとしているのかですって、この日は、朝から雨降り、外に出ようにもままならず、家でじっとしているんです。 
 
 このくらいのおとぼけをかまさなくてはやってられません。

 雨といえば、日本人にとっては情趣を醸し出す現象です。
 かつて、民俗学の権威柳田國男はこのようなことを書いています。
 
 「京都の時雨の雨はなるほど宵暁ばかりに、物の三分か四分ほどの間、何度と無く繰り返してさっと通り過ぎる。東国の平野ならば霰か雹かと思ふやうな、大きな音を立てゝ降る」

 生まれてこのかた<東国の平野>に暮らし続けて来た私には、幾分、納得のできない一文ではあったのです。
 確かに、<あられやひょう>を伴って降ることもままありますが、さほど毎度ものことではありません。

 「時雨」とありますから、柳田は、秋から冬に季節が変化する不順な状況で降る雨のことを述べていることがわかります。

 この季節、北西からの季節風が吹きます。
 日本海では、この風が対流雲を作り、日本海沿岸に断続的に押し寄せて来ます。
 それが、一時的な雨になり、そして、また晴れるという「時雨」の現象を生み出すのです。

 京都盆地などには、冷たい風とともに、この雨がやって来て、京都人は、まもなく冬やなっ、と感じる雨なのです。
 私たち、東国の平野に暮らして来たものにとっては、このようにさっと降って来ては止み、晴れ間がのぞく、そんな雨を「通り雨」などと言っていました。

 「時雨」に「通り雨」か。
 そんな言葉の違いを改めて思いますと、さすが、京都や、降る雨も、その雨を表現する言葉も雅だと、思わず納得してしまいます。
 
 そう納得すると、音も立てずに、しとしととふる雨は、京の都によく似合います。
 都大路に、ひょうやあられが降っては台無しです。

 さて、今、季節は春。
 今朝から降る雨は、さほどの冷たさを感じません。いや、むしろ、昨日よりは暖かいと感じます。

 春といえば、あの有名なセリフが思い浮かんで来ます。
 
 京の芸妓雛菊が「月様、雨が……」と傘をさしかけて言います。
 すると、月形半平太が「春雨じゃ、濡れて参ろう」と言う、あのセリフです。

 もちろん、これは新国劇の芝居のセリフですが、これほど人口に膾炙されたセリフも珍しいのではないでしょうか。新国劇など知らなくとも、そのセリフは一度は耳にしたことがあるという人も多いと思います。
 これから暖かくなる季節、雨に降られても、さして濡れまい、それより、美しい芸妓とゆっくりと歩きたいと言う、情趣を醸し出す雨として、多くの日本人の共感を得たものと思ってもいいかもしれません。

 私は黒澤映画をよく見ます。
 年に一回はビデオで、黒澤時代劇を見て、スカッとした気分になっているのです。
 その黒澤映画の「雨」は、いつも、土砂降りの雨です。

 <七人の侍>では、その土砂降りの雨の中で、野武士と侍の決死の戦いが行われます。
 土砂降りの雨だから、尚一層、侍たちがなんの役得もない、百姓たちを守る戦いで討ち死にしていく姿が高貴なものとなって行くのです。
 降る雨で、濡れた袴の裾の重たさに苦しみ、泥水に足を取られて転ぶ侍たちは、けっして格好いい侍の姿ではありません。
 しかし、これでもかと降る雨の中で、戦う姿は侍の高貴さそのものを伝えて余りあるものがあるのです。

 さて、雨降りの朝、私の脳裏に出てきた言葉が、<Sdaeh rieht edih dna nur yeht semoc niar eht fI>というものなのです。

 一体、これは何のおまじないの言葉かと思われる方もおられると思いますが、実は、これ<If the rain comes they run and hide their heads>を逆に書いただけのものなのです。

 A面が『Paperback Writer』として、そのB面として発表された『Rain』という曲の最後に出てくる珍妙な<歌詞>が<If the rain comes they run and hide their heads>を逆回転させたものなのです。

 別に意味などないと思います。
 彼ら特有の「遊び」であり、「実験」であったのです。
 と言いますのも、この頃、彼らはコンサートをやめて、スタジオで曲作りに打ち込んで行くからです。
 
 『Rain』の歌詞の内容は、極めて単純なもので、日本的情緒などこれっぽっちもありません。

 でも、気だるい歌い方、それとは逆行するようなメロデイアスなベース音、そして、「雨」を想起させるドラム。
 これなど、柳田がいう、「東国の平野ならば霰か雹かと思ふやうな、大きな音を立てゝ降る」かのようなドラム音なのです。

 朝から雨が降る日など、どうかネットで探し出し、みなさんにも、お聞きになっていただいきたいと思っているんです。




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