武士の情けは何処にありや

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酒が置いてある棚。今は一滴も飲まなくなり、単なる飾りですが、中身を捨てる気にならないのはなぜなのだろうか。未練だろうか、それとも、単に美しいからだろうか。


 今日は、旧暦の三月十四日となります。
 元禄十四年、今は「松の廊下跡」と立て札が立つ皇居の一角で、それは起こりました。

 午前十時を過ぎた頃合いのことです。
 播州赤穂五万石の城主浅野内匠頭が高家筆頭吉良上野介を殿中松の廊下で背後から切りつけ重傷を負わせる事件が発生したのです。

 かの有名な「赤穂浪士」「忠臣蔵」の発端となる事件です。

 切りつけた浅野内匠頭を羽交い締めにして取り押さえた方が大奥留守居番梶川与惣兵衛です。
 七百石取りの侍ですが、その功により五百石の加増を受けます。

 午後三時、若年寄である奥州一関三万石の城主田村右京太夫が浅野内匠頭の預かりを命ぜられ、不浄門である平川門を出ます。

 一時間後、田村邸に到着。
 その二時間後の夕刻六時頃、大目付庄田下総守と目付の多聞伝八郎、同大久保権左衛門等が田村邸に派遣され、浅野内匠頭の切腹が申し渡されるのです。
 
 浅野内匠頭は、小書院前の庭に引き出されます。
 衣服はこの日朝から着用したままの小袖姿です。白装束への着替えは認められませんでした。

 田村右京太夫は、田村家所蔵の名刀加賀清水を介錯刀として用意しますが、大目付庄田下総守は許可しません。
 そのため、介錯人磯田武太が腰に差している刀が用いられました。

 五万石の殿様の切腹でなく、重大犯罪者へのそれは対応でした。

 遺体は、赤穂藩江戸藩邸の糟谷勘左衛門、建部喜六、中村清右衛門、田中貞四郎、片岡源五右衛門、礒貝十郎左衛門の六人が引き取り、泉岳寺に埋葬しました。

 一方、その日の午後二時には、早水藤左衛門と萱野三平の二名が、「殿中刃傷の発生」だけを報じた浅野大学の書状を持って、赤穂に向かいます。
 そして、その日の夜、原惣右衛門と大石瀬左衛門の二名が、「内匠頭切腹」および「赤穂藩取りつぶし」を伝えるべく、早駕籠に乗ります。
 
 江戸から赤穂まで百五十五里、六百二十キロです。
 通常は、十七日かかる行程です。

 第一陣の到着は、五日後の十九日午前四時。第二陣は同じ十九日の夜八時でした。
 軍事用である馬は使うことができません。
 ですから、大名たちが参勤交代で使う定宿をつたい、早駕籠をつなぎながら、この四人は一睡もせず、食事も取る暇なく、用便は垂れ流しで、この一大事を、文字通り、命がけで伝えたのです。

 早駕籠とは、かつぎ棒の前方と後方にそれぞれ二人が並んでかつげるように横棒をしつらえた籠で、それに紐をつけて籠の前方で引っ張る者が走るという籠です。
 場合によっては、後方に押し手が配置されることがあります。

 この時代、常宿では万が一の大事に備えて、「通しの早打ち」と触れて、一刻の遅滞なく籠を目的地まで走らせることができたのです。
 この時、赤穂藩が払った早駕籠代は二十両、現在の金額で二百万円でした。

 それにしても、いかばかりの気持ちで、この四名は、天下の一大事を携えて、籠に揺られていたのでしょうか。
 江戸で起こった大事件を、瀕死の状態の使いから伝え聞いた大石内蔵助もまたいかばかりの思いであったのかと思うと、胸に迫り来るものがあります。

 今、人の話を無断で録音し、それを週刊誌に流し、騒ぎが起こっています。

 人というのは、情が通えば、本音でものを言います。あらたまった口調から、普段の地のままの口調で親しみを持って語るのです。
 そこから、重要な情報を仕入れ、組み直し、一つの特ダネを作り上げていくのがジャーナリズムです。
 しかし今回、語る方はえげつなく、知性や品性のかけらもなく、聞く方は、無断で録音、それを無断で公開では、やる方ありません。
 貧相な輩は、それみよがしに、攻め込みますが、見ている方は、まったくの興ざめではあります。
 
 この件はジャーナリズムには信を置けないという風潮がおそらく蔓延する契機となるのではないかと思っているのです。

 そうそう、浅野内匠頭を羽交い締めにした梶川与惣兵衛は、幕府からは加増の栄誉をいただきましたが、江戸市民からは<抱きとめた片手が二百五十石>などと揶揄されるのです。
 武士の情けを知らぬ侍であるというのです。
 これほど、痛烈な責めはありません。

 そして、浅野内匠頭を庭先で切腹させ、差し出された介錯の刀を却下した大目付庄田下総守は、不適切な対応であると大目付から年寄に降格処分になります。
 これも武士の情けに欠けたことがその理由と挙げられています。

 元禄十五年十二月十四日早朝四時、堀部安兵衛の借宅と杉野十平次の借宅にて着替えを済ませた浪士は、吉良邸に押し入り、本懐を遂げるのです。
 そして、泉岳寺に向かう途中、武士の情けを知る多くの江戸市民が彼らを迎えたと言います。

 こうでなくてはいけないのです。
 何事も武士の情けを知らないとこうはならないということです。




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