クビになった男と働き口もない男の話

ゴールドコーストで散歩をしている時、小道を抜けると、こんな住宅街の中のサークルになった道に出くわすことがあるのです。森が途切れ、太陽の光が燦々と。目が一瞬眩んで、このようになるのです。
GWが始まったばかりで恐縮ですが、今日は、職場をクビになった男と、就職もままならない男の話をしたいと思います。
歴史的かつ文学的事実に即していますが、もちろん、わたしの個人的見解も多分に含まれていることもあらかじめご承知おきくださり、読んでいただければと思っています。
男がクビになった原因は、なんでも、酒をしこたま飲んで、上司に悪態をついたからだというのです。
もちろん、周りは止めに入りましたが、酒というのは恐ろしいものです。日頃はおとなしい彼が、その時はいっぱしのヤクザのように、口調さえも変わっていたというのですから。
もちろん、会社でも問題になり、そのような社員をおいておくことはできないということになりました。
会社をクビになったその男は、己の不甲斐なさにほどほど嫌気がさし、それゆえに、新宿の、それも裏町の安酒場で、一人酒を飲んでいたのです。
その男の横で、これまた、冴えない顔をした男が一人酒を飲んでいました。不甲斐なさに嫌気がさすこの男に比べれば、幾分年齢も若いようです。
この日も、「当社の採用にご応募いただきありがとうございました。書類審査の結果、この度の採用は見合わせていただくことになりました、今後のご活躍を祈念しております」というような文章を懐にして、その席で酒を飲んでいたのです。
新卒で就職を逸した彼は、その後、どこの会社からも色好い返事をもらうことはありませんでした。これだけ落とされると彼そのものが社会から必要とされていないような気になって、ますます自信を失って行くのです。
時間を切り売りしてなんとか糊口をしのぐ毎日です。
これでは家庭も持てないし、この先、年老いてどうなるのだろうかとそんなことを考えて一人酒を口に運んでいたのです。
21世紀の初頭、新宿の裏町の安い酒場での場面。
ふと、この二人の男の周りが暗くなりました。
おやっとコップを口に運ぼうとしていた二人は辺りを見回します。
隣に、頭のてっぺんに髷を結い、小汚い布切れでそれを結び、薄髭を生やしている男をお互いが認めました。
よく見ると、見慣れない古風な衣装をまとまっています。
そして、その状態は自分もまた同じであることに気がつくのです。
おやおや、どうしたことだろうかとお互いに不思議なことになった自分を笑いでごまかそうとしました。
「わたしは、子美と申します。お見知り置きを。」
おい、俺は子美などという名などではないぞ、なんでそんなヘンテコな名を名乗っていると、心では思うのですが、口は勝手に動くのですからどうしようもありません。
「それはそれは、ワシは太白と申します。先だって、皇帝陛下からお暇を申し付けられ、ここ洛陽まで流れて来てしまいました。」
この男も、自分をワシと呼び、皇帝陛下だとか、洛陽とかワケのわからないことを語る自分に驚いています。
しかし、この男も口からは淀みなく言葉が出てくるのです。
「あの著名な長安の李太白さまでいらっしゃいますか。大変に光栄なことでございます。わたしはあなた様のようになりたく思っていますが、容易に、宮中には入ることができません。試験がなかなかに厳しくて、わたしには太刀打ちができないのです。」
「ワシだってちょっとした縁でお勤めに上がったまで、さほどの優れた人間ではござらぬ。己を卑下することは、ご自分で己の価値を下げるようなもの、胸を張って生きていくが良い。お勤めをしていても、こうして、上司に悪態をついて、放逐される愚か者もおる。それより、<浮生は夢の若し>と申します。<歡を爲すこといくばくぞ>です、大いに飲みましょう。」
二人は意気投合し、決して世間的には豊かとは言えない人生を語り、しかし、個人的には好き勝手に生きることを標榜せんと固く手を握り合ったのです。
黄河の水天上より來り、奔流して海に到り復た回らざる、と言います。
人生はやり過ごせば、それっきりなのです。わたしが酒の上で放った言葉は発した以上もう戻らないのです。セコセコと物事を考えずに、人生須らく歡を尽くすべし、です。
人生というのは、ありのままに受け入れ、そして、大いに楽しむがよいのです。
それに、あなた、天はあなたをこの世に送り込んだ以上、必ずなすべき用があるということを忘れてはなりません。千金は使い果たしてもまた戻ってくる、そんなものです。
李太白は、杜子美に言い放ちました。
子美はその言葉に大いに感動したのです。
天は己をこの世に送り込んだ以上なすべき用がある……、きっとそうに違いない。
職を解かれ、にも関わらず、このように悠然としている、その姿こそ尊いと。
あなたは素晴らしい、天下無双である、世間に流されることなく、我が道を標榜する。わたしもそのようになれるよう、これまでのせせこましいものの考えを捨て、己に忠実な生き方を目指そうと思います、と意を決したのでした。
一陣の春の風が、二人のいる酒場に、開け放たれた扉から吹き込んで来ました。
新宿の場末の、安酒場で、お互い見も知らぬ男が二人。
並んで、酒を飲んでいました。
一人は、酒が過ぎてクビになった男、いま一人は、何度会社を受けても正社員になれない男。
この二人、まるで、誘いあったように、席を立ったのです。
「おい、勘定。」
ほぼ、同時に二人の男は声を出し、お互いを見つめ、軽く会釈をしたのです。
そして、二人の男は、それぞれ店を出て、新宿の街の寂れた横丁に姿を消して行ったのです。
一人は、右に、今一人は左に。

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