雨の日に傘を貸す人

一本道というのは、人が作ったものの中で、一番安心できるものだと思っています。なぜなら、それをたどっていけば、必ず、どこかに通じるものだからです。
『雨の日に傘を貸す人であれ』ということは、言うのは簡単ですが、実践するのは難しいことであると思っているのです。
だって、身を切って相手にそれを捧げるということですから、そうそう簡単に出来るということではないのです。
世の中を見てみますと、雨の日に、傘を貸すどころか、雨水を引っ掛けて行く人を何度も見ていますし、さらには、さしている傘に入り込んで、あわよくば、その傘を乗っ取ってしまうなんて輩がいるのも多々目にするのです。
そんな中、涙の出るような話を耳にしたのです。
アメリカのとある会社の人間が、クールマンと呼んでいる日本人会計担当者がいました。
なんでも、金の出入に厳しく、会社を経営する上で1セントの不具合も許さないと言う男だそうです。
もちろん、それはただ単に厳しいのではなく、会社を運営し、発展させて行くために必要なことであり、クールマンと呼んでいたアメリカの会社の幹部も、それは認めていたことでした。
そんな仕事をするのは銀行員かと思いきや、そうではないのです。
日本のとある総合商社の、アメリカに事務所をおく会計担当者なのです。
総合商社ですから、アメリカで売れるものがあれば、それを調達し、販売網を構築し、売上をあげて、利益を出す、そんな会社です。
名のある商社はいくつも日本にあります。
時には、汚職にまみれ、大騒ぎになった会社もありました。日本の前首相が逮捕されるというあのロッキード事件が有名です。
しかし、多くの商社は、全米中を歩き回り、物を売り、利益をあげてきたのです。
ソニーのトランジスタラジオもそうして売られ、日本の家電は世界を席巻して行ったのです。
今、私が取り上げているクールマンのいる商社がテコ入れをしていたのは、陸上を専門に競技する人たちのために靴を作る会社であったのです。
日本のオニツカの技術を参考に、提携をしながら、オニツカの靴をアメリカで一手に販売する会社こそが、今を時めくナイキだったのです。
近い将来、ナイキ自体がランニングシューズを作り、それを売り、全米をナイキの靴で埋め尽くすのが彼らの夢であったし、それをその商社は固く信じて支援をしていたのです。
商売も政治もまさに「信なくんば立たず」ということであると思うのです。
新聞の論調を見ていますと、北朝鮮の問題で、「信」に最も重きを置いているのはどうも日本だけのような気がするのです。
アメリカもまたそうであった欲しいと思うのですが、何せトランプですから、「取引」を優先するという点で、「信」はあやふやに見えてくるのです。
そうなると、頑なに圧力強化を訴えるのは日本だけということになり、それゆえ、中国や韓国は、日本は相手にされなくなると脅しをかけてくるのですが、何も恐れることはありません。
だって、兄弟親戚を平気で殺害し、他国の人間を拉致し、勝手にミサイルと飛ばして、もうこれ以上資金が続かないから、ここらで手打ちだっと言っても、そうそう簡単には「信」はおくことはできない相手です。
だから、頑なに日本政府は今の方針を貫いて言って欲しいと思うのです。
さて、横道に逸れましたが、そのクールマンの話です。
ナイキの事務所に、銀行のものと名乗る男がやってきて、伝票を集め始めたのです。
クールマンに、ナイキから連絡が入りました。
クールマンは、この銀行が取引に失敗し、多額の損失を被るはずであるという情報を得ていました。
よって、これは資金を得るために、取引先のいくつかにいちゃもんをつけ、その会社の資金を回収し、帳簿上の辻褄を合わせる算段に違いない、その一つにナイキが選ばれたと直感したのです。
案の定、その通りでした。
彼は、ナイキの幹部を連れて、銀行に乗り込み、ナイキの負債1億5000万を立て替え、支払うのです。
難局を乗り切ったナイキに、幸運が訪れます。
アメリカに、空前のランニングブームが起きるのです。
あとは、ご承知の通り、ナイキはアメリカのみならず、全世界に販売網を広げ、靴だけに限らずスポーツ全般でのステータスを確立して行くのです。
その契機があのクールマンが調達した1億5000万だったのです。
後日談があります。
あのクールマン、この商社の内規に違反をしていました。あの金額であれば、社長決裁が必要な金額であったのです。
それを単独で行ってしまったのです。
当然、規定により、解雇通告がなされます。
退職金も何もなく、彼は、荷造りをして、日本に戻る算段をするのです。
東京本社から電話が入ります。
馬鹿野郎、勝手なことしやがって、と大声で怒鳴られます。辞めて行く人間にはまるで鞭打つような怒鳴り声です。
しかし、本社会計の責任者は、最後に、小声で、「よくやった」と言ったのです。
クールマンは、ギリギリのところで、クビを免れました。きっと、この会計の責任者も、商売に「信」を置ける人だったに違いありません。この会社は、必ずヒットを飛ばす会社だと思っていたのです。
そして、しばらくして、彼も商社も、ナイキの爆発的な発展を目にするのです。
こんな話を聞くと、まさに、このクールマンこそ『雨降った時に傘を貸した人』であると思うのです。
名も、伝わらず、しかし、「信」を置いて、勇気ある自己判断をした人です。
日本の教育が、自分でものを考え、行動できる人間を標榜すると盛んに述べています。
クールマンのように、自分の、言うなれば命さえも投げ出して行動できる人がいたということを教室で教えて行くこと、それこそが大切な教育の一つのありようだとも思っているのです。
名もなき日本人クールマンではありますが、アメリカのナイキ本社には日本庭園があり、このクールマンを始め、ナイキの困難な時に寄り添った日本人商社マンを忘れないように、この庭園があるといいます。
アメリカ人も義理堅いではないかと、涙が出るくらいに感動するのです。
さて、私といえば、どうでしょう。
とても、『雨の日に傘を貸す人』にはなれそうもありません。いつも心の中でブツブツと言っているのです。
どうして、私の周りには頼りない連中ばかりいるんだと。自分のことは自分でやれよとブツブツと言っているのです。
私も、この話を通して、少しは学ばなければならないと思っているところなのです。

