険のあるクラクションが鳴り響く

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竹群(たけむら)の中を歩んでいると、その葉の醸し出す幽玄に精神が高揚する時があります。風に吹かれて一様に葉が同じ動きをするからだろうか。あの竹の節の規則正しさからなのだろうか。群が一様に同じ動きをする美しさと怖さをそこに見てとるからかもしれないと考える時があるのです。


 先だって、筑波大学近くの道で、信号のない横断歩道を渡ろうとしている日傘をさした女性が佇んでいましたので、私はゆっくりと車を止めたのです。

 もちろん、その方を優先して、横断歩道を渡らせるためです。

 でも、対向車線から走って来た若葉マークをつけた車が、私の車を横目にして、なんでこんなところに止まっているんだと言わんばかりにスピードも落とさずに走り去って行ったのです。
 その走り去っていった車を確認した日傘の女性は、私に軽く頭を下げて、無事、横断歩道を渡って行きました。

 そのとき、横断歩道を渡ろうとしている人がいるからといって車を止めるのもの良し悪しだなと思ったのです。

 日傘の女性はまだお若い様子であったから、対向車線からスピードを落とさずに走ってくる車を認識し、それが通り過ぎてから横断して行きましたが、それが老人や子供であったら、止めてくれたことで一気に横断し、対向車線の車に轢かれてしまうのではないかと心配したからなのです。

 私は「止まれ」の標識のあるところでは、必ず、車を止めています。

 そこに止まったからといって、前方にある道を通過する車の姿など見えません。
 つくばは樹木も多く、そのため、結構見通しが悪いのです。
 でも、「止まれ」の標識があれば、一旦、停止し、そろそろと車を動かすことは大切なことであると思っているのです。
 どんな風に大切なことかというと、こちらの気持ちの上で、安全を確保する、余裕を持っていると自分に言い聞かせるという点で大切なことであると考えているからなのです。

 後続の車が、なんで止まっているんだとせっついてくるときもありますが、気にしません。
 「止まれ」の標識があるから止まるのですから。

 別の日でしたが、筑波大学病院に行ったときのことです。
 私は、自宅から5キロ先にあるこの病院によほどのことがなければ歩いて行っているのです。

 筑波大学は、日本一キャンパスの広い大学だとか聞いたことがあります。歩いても飽きないほど、このキャンパス内には自然の美しさがあるから、そのせいもあると思っています。
 この日は、新緑が陽の光を浴びてキラキラと輝き、気温は高いのですが湿度が低く、歩いていても気持ちの良い日でした。
 構内を気分良く歩いていると、車のクラクションがけたたましく鳴り始めました。

 どこか険のある音です。

 振り返りますと、一台の車を先頭に十数台の車が後ろに連なっています。
 先頭の車のボンネットには、あの高齢者を示すマークが貼られています。
 大学構内の道は、30キロの制限速度なっていますが、明らかに、そのスピードよりもずっと遅い走りです。
 ですから、後続の車も一体何をやっているんだと、怒りを込めてクラクションを鳴らしていたのです。

 しかし、高齢者マークをつけた車は、そのクラクションが聞こえないのではないかと思うほど無頓着で、道の真ん中を走っています。
 後ろの車の運転手は、顔を真っ赤にして怒っています。顔を左右に振り、窓を開けて、怒鳴ってもいます。
 やっと、高齢者マークの車が横道に入って行ったのですが、入り切らずに途中で止まってもしまいました。どうやら、曲がる道を間違えてしまったようなのです。もうちょっと先へ行って、Uターンすればいいものと思うのですが、それもせず、車の尻を道路半分ほど残して停止しています。
 
 後続の車のほとんどがクラクションを鳴らしています。それは、いまはバックはするな、車がお前さんの後ろを走っているんだぞというかのように。

 私は車道より数段高くなった歩道の上からその様子を見ていました。

 確かに、ご老人です。体の向きも変えるのも容易ではない、そんな感じの老人です。
 すると、近くにいた学生が、走り寄ってきて、運転席の方に顔を出して、何やら話をしています。そして、その学生、車の後ろに移動して、その老人の車の後退を指示し出しました。
 
 その車はまたゆっくりとしたスピードで大学構内の制限速度30キロの道を20キロくらいの速度で走って行ったのです。
 一般道に出たらどうするんだろうと、私心配しながらその車を見送ったのです。

 そして、私、豊かな自然の中、日本一広いキャンパスの中を気持ちよく歩いていたのですが、ちょっと気分が複雑になったのです。

 今の所、私の心身は、クラクションを鳴らされるほど耄碌はしていませんが、やがて、ボンネットやリアウインドウにあのマークを貼るドライバーになるはずです。
 同時に、私、あの険のあるクラクションを鳴らす側になることも、十分にあるということに気がついたのです。
 なぜなら、この光景を見たとき、私の立ち位置、気持ちの在りどころがクラクションを鳴らす側にあったからでした。

 <何をゆっくりと走っているんだよ、皆困っているじゃないか、遅く走るなら横に停車して、後続の車が行き過ぎるのを待ってろよ。>
 そんな思いを持っていたのです。

 車を運転している時、その人間の本性が現れるとよく言います。
 見目麗しい女性がハンドルを握るや、この馬鹿野郎、どこ見てんだというのを目の当たりにしたことはありませんが、そうなるとは百年の恋もきっと興醒めることでしょう。

 車を運転していて、そんな思いに駆られた時、私には一つの方法があるのです。

 それは、何事にも親切にしてやるということです。
 右折の対向車があれば、先にいかせてやったり、混雑する道路で、横道から入りたがっている車がいれば、停止して、いれてやったり、その際、優しく手で合図をしてやるのです。
 相手も感謝から手で挨拶を返してきます。

 このコミュニケーションが、心に巣食い始めた邪な感情をとろけさせるのです。

 でも、あの低速度の車に対して巣くい始めた邪な感情はどうやってほぐしたらいいのか、私は大学構内の木漏れ日が揺れ動く並木道を病院に向かって歩いて行ったのです。




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Author:nkgwhiro
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《 11/13 🍁 Tuesday 》
 
🦅ただいま、<Puboo!>にて、『一万年の憂愁』を発信しています。

<時の感覚というのは、実に不思議です。
縄文と弥生の人々が共存して、互いに文化を交流させている姿を思うことも、時には争いに発展することも、私は、想像をするのです。
さらには、世代間の違いにも思いをいたしたり、文化を異にする外国の地で、思いにふけったりもするのです。
人間なんて、人類の歴史から見れば、この世で活動する期間などわずかなものにすぎません。
しかし、そのわずかな時間でさえ、永遠に記録に残すことも可能なのです。
今回の作品はそうした意図を反映した作品なのです。>

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