広告と早慶と教師

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雨降りで、葉の上にとどまった雨粒、思い切って接写すると、なんだかいい感じ。照り輝く緑の葉の上の水玉がどこか切なさを持って迫ってきました。



 若き日、私は、とある新聞社の広報宣伝室で下働きをしていました。

 表参道で、その後、大手自動車会社を顧客にして広告会社を興し、経営者となる友人の紹介が縁で勤めるようになったのです。
 まったくの門外漢ではありましが、私は、文章を書くことは好きだったので、意外にはまり、一日中、デザイナーの横の席で、本を読んでは、その本の宣伝文を書いていたのでした。

 慶應出の次長は、そんな私の宣伝用の文を結構な数、採用してくれたのです。
 でも、本当に下働きで、広報宣伝室のある神田錦町から大手町の本社ビルに出向き、出版物のポスターを貼ったり、出版していた週刊誌の表紙のデータを著名なデザイナーの事務所に届けたりすることも多かった日々でした。
 私は、次長には可愛がられ、時折、いや、週の半分は一緒に酒場に出ては、付き合いをさせられていたのです。

 今、私が絵を書いたり、文章を書いたりできるのも、この次長のおかげ、ひいては縁を作ってくれた広告会社を設立した友人のおかげだと思っているのです。

 この次長、作家希望で、画家志望でありました。
 酒場に行けば、その話です。

 で、「希望」と「志望」ですが、少し差をつけて、私は位置づけしています。

 私は、次長の<書いた作品>は読んだことはないのです。
 いや、作品のモチーフやプロットについては語るけれど、実際は書いていなかったのではないかと思っているのです。
 それに、はっきり言って、私の方が、当時さえも、コピー、つまり宣伝のためのコンパクトにまとめられた文書は、上手だったと独りよがりではありますが思っていたんです。 

 しかし、絵は見ています。油絵です。女性の像を描くのが好きな方でした。
 何しろ、不定期ですが銀座の画廊で個展を開くのですから。

 その準備を、手伝ったことがあります。
 会場の設定はもちろんですが、ご近所にある名高い有名店に入っていって、招待券をおいて行くのです。どの店も、有名店であるだけに、愛想がよく、激励の言葉とポスター、それに招待券を受け取ってくれました。

 次長、このためにどのくらいのお金を使っているのかと思う時がありました。
 ポスターやチケット、看板などは、広報宣伝室のデザイナーや私などが考えて作りますし、紙なども部屋に無造作におかれている余った紙を使いますから、せいぜい打ち上げ時、新橋か神田あたりでパーッとやるときの飲み代、それに会場費に、キャバス代、絵の具代と指を折って行けば、結構な額になります。

 きっと、数年に開催される個展に、蓄えた金を一挙に浪費しているのだと思うのです。
 いや、彼にとってはそれは浪費ではなく、本来の自分のなすべきことへの投資であり、活動の成果を問う華々しいパーティーであったのです。 

 そんな彼に影響を受けて、また、表参道に事務所をおいた友人との付き合いもあり、そのままこの世界に入って行くものとばかり思っていた私ですが、何を思ったか、再び、大学への入学を果たすのです。

 今、思えば、当時の広報宣伝室に毎週一回来る人がいました。 
 二週間先に発刊の週刊誌の表紙を決めるためにその人はやって来るのです。
 表紙のデザインはすでに決まっていますから、そこに埋め込む文字を、ほかの週刊誌ではなく、当社の週刊誌を買ってくれるそんな文字を決めるのです。
 その仕事の一切を行うのが編集長だったのです。
 こんな仕事も編集長というのはするのだなと思って、部屋の隅から次長と編集長が議論しているのを垣間見ていたのです。
 その編集長は早稲田出でした。

 きっと、私はそこにかっこよさを見出したのです。
 彼は、テレビにもよく出ますし、文章も書いています。でも、決して、偉ぶることなく、私にさえ、君はどう思うと見解を聞いて来るのです。ろくな返答もできませんでしたが、それでも、多くの人の意見を耳にして、何かを決めて行く、その姿に私はかっこよさを感じたのは事実です。

 それに、慶應出の次長と早稲田出の編集長の会話の、切れ味の鋭さにも参りました。何か、自信に満ち、誇りが言葉に輝きを持たせていたそんな感じの会話だったのです。

 ですから、私はもう一度ちゃんと勉強し、自信と誇りを見つけられるよう、今再び学を修めたいと思うようになったのです。

 遅くに入った大学の卒業を前にして、私は思い切った方向転換をしました。
 次長に、あるいは、友人に依頼すれば、広報宣伝という分野の職を得ることもできたはずですが、私は、その道へ進むことをやめたのです。
 四年間の勉強の影響は、私をあらぬ方向へと導いていました。
 中国のことを勉強することで、将来、その方面の専門家になりたいと思っていたのですが、何か免許をということで、教職の免許を取ることにしていました。
 文学部から教育学部へと通い、その免許をとったのです。

 教職免許を取るには、教育実習なるものをしなくてはなりません。
 私は池袋の、都会の真ん中の中学校でそれを行いました。
 毎日毎日、子供と接し、授業をすることがこんなにも楽しいのかと思って、スーツにネクタイをして竹ノ塚から池袋まで通ったのです。
 そして、実習を終えると、子供たちの何人かが竹ノ塚に遊びにきてくれたのです。

 米を持ってです。

 きっと、貧乏学生に美味しい米を持っていかせたのは母親たちでしょう。
 そんな優しさに、私は、一転して、教員になると決断をしたのでした。

 取手の学校に入る前の三月すえのこと、私は神田錦町の次長がいる広報宣伝室に顔を出しました。
 一向に連絡がないから、就職もできずに放浪の旅にでも出たかと思ったと言われました。
 私の報告を聞いて、次長はそれが良いといってくれました。自分が好きだと思った道に入るのが一番素晴らしいことだと。
 もちろん、私の卒業と教員になった祝いを数寄屋橋の慶應出身者が集まる酒場で開いてくれました。

 鎌倉に転居し、油絵を描いて過ごしていたことは知っていたのですが、一年ほど前に、肺がんを患って亡くなったということを、私は表参道に会社を立ち上げた友人から、ついこの間、聞いたのです。

 人生に多少とも影響を与えくれた人がこの世から去っていったのです。
 ありがとうと言いたい、そんな風に思っているのです。




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