千年の刻を経て一片の木簡が足元に

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筑波の麓に再建された官衙。近くには桜の名所大池があります。


 一昔前、いや、三昔前だったら、きっと、私は馬を一頭、ガレージに、友として飼っていたに違いないと思うのです。

 そう、あれはコッツウォルズの村の横丁でのことでした。
 ひづめの音が軽やかに聞こえてきて、振り返ると、そこに二頭の馬にそれぞれ跨った令嬢が二人、にこやかに微笑みながらアスファルトの道を通り過ぎていったのです。
 私は、その背筋を伸ばし、手綱をしっかりと握ったイギリス人女性の姿に見とれていました。

 時代が時代であれば、私はきっと馬を養い、その馬に跨って、朝夕の散歩を馬と一緒にしていたのではないかと、イギリスの片田舎の小道に立って思ったことがあるのです。

 しかし、今の私には馬はありません。
 でも、トレックのマドンというロードバイクがあります。

 先だって、早朝に、筑波山の麓まで、ひとっ走りしてきました。
 そこには大きな池があり、つくばの桜の名所になっているのです。
 そして、古代、ここにあったという「官衙(カンガ)」が再建されているのです。

 官衙とは、役所のことです。
 筑波山の麓に広がる村々は昔から豊かな産物をもたらしてくれた地域です。
 それは江戸時代になっても同じで、ですから、ここら一帯は「天領」が実に多いのです。私の暮らすところは新しく宅地化された場所ですが、ちょっと奥に入った古くからの集落は、なんと仙台伊達藩の領地であったというのです。

 教員であった時、私の知人が言いました。
 その方は、九州の出で、この地に嫁いで来た方です。
 「ここら辺はいいわよ、だって、災害がないもの。私の生まれたところは、雨が降れば山崩れを心配し、川の氾濫にやきもき。」
 「だから、ここら辺の人は、ボーッとしているんですよ。」
 と、私がかますと、そこまでは言っていませんと軽くあしらわれたのを思い出します。

 そんな豊かな土地ですから、この官衙も収穫物を集め、あるいは、編まれた衣を綺麗にたたみ、そして、体一つで都にお務めにいく働き手を送り出す仕事で大忙しだったのではないかと思うのです。

 その官衙は、小高い緑の芝の敷かれた丘の上に、高床式の古代建築が三棟建てられています。
 壁は、木材を三角柱にした校倉造というやつです。
 集めた米を美味しいまま都に届けるにはそのくらいの設備が必要です。
 いずれにしても立派な建物です。
 高床の建物は南北が開けはなたれています。

 早朝の朝露が落ちた草を踏んで、私はその古代の「官舎」にそっと近づいて行きました。

 すると、一人の冠をつけた男がそこに座しているではないですか。私は自分の目を疑いましたが、実際、冠をつけた男がそこにはいたのです。
 私を認めたその男子は、すくっと立ち上がり、こちらの向かって姿を現しました。

 「袍(ほう)」という上着を来て、「笏(しゃく)」を両手で持って、なんとも優雅です。
 「袍」は腰のところで結ばれていました。 
 そして、「褶(ひらみ)」と呼ばれる、スカートのような、プリーツが入っているものを着用し、その下に「袴(はかま)」を履いています。
 この「袴」、私たちが思う袴ではなく、いうならばズボンに近いものです。

 そなたは何をしにこちらに参ったかとその男、私に問います。

 何をしにたって、ロードバイクで朝のツーリングといっても分かるまいと思ったので、あなた方の時代で言えば、馬のようなものに乗って、あの山の向こうの最先端の設備を誇る街からやって来ましたと答えたのです。

 すると、私のマドンを見て、それがそなたの馬かというので、そうだと言ったのです。

 そなたの街は最先端といったが、いかなるものがその最先端なるものかとさらに問うのです。
 私は、少し考えて、例えば、通信においてはこの世界いたるところ瞬時になんでも送れて、受け取ることができますと、サイクルジャケットの背中のポケットに入れてあったiPhoneを見せたのです。

 そのような小さきもので情報とやらとを送ることことができるのか。
 さらに、吾の用いておる「情報」も遅れるのかというのです。
 そして、奥の部屋に入って、一抱えもある木簡を持って来たのです。

 送れますが、それはデータ化をしなくては送れません。そのものを送ることはできないのです
 官人は少し考えて、言いました。
 「面倒なことであるよのぉ」
 そんなに早くにその木簡を京に送りたいのですかと、私が問いますと、男は手にしていた木簡を床に落として、投げやりに言います。
 「これはわしの実記だ。」
 「ジ-ッ-キ?」
 「そうだ。日々のことを綴っておる。今年は気候も安定せず、京に収める米が足りない。百姓を責めるのは簡単だが、責めたとて、米が出てくるものではなし、役人の吾もいよいよ年貢の納め時が参ったようだ。」
 「実記というのは日記のことですね。日記という言葉、ジッキが語源なんですね。まぁ、そんなことはどうでもいい。それより、あなた、仕事がうまくいかないからって、自棄になってはいけません。」

 男は、しゃがみこんで、今落とした木簡のひとつを紐から外して私の方に投げたのです。

 背中が熱い。
 太陽が強烈な陽射しを私の背中に向かって放っているようです。それと同時に、あの男も朝露のようにさっと消えていったのです。

 私は足元に転がる古びた木の枝を拾いました。
 <今日尓 何如将及 筑波嶺 昔人之 将来其日毛流>
 かすれた墨字ではありますが、そのような文言が読み取れます。

 私はiPhoneで、これらの字をデータ化し、検索をしました。
 「今日の日に いかにかしかむ 筑波嶺に 昔の人の 来けむその日も」

 意味は、『今日の日と比べたら、どんなに良いというのでしょうか。筑波嶺に昔の人が来たという、その日に比べて。』
 読み手は、常陸守藤原宇合の部下高橋虫麻呂とあります。
 大伴旅人が奈良の京から常陸にやって来て、一緒に筑波山に登った時に歌ったという歌とあるではないですか。

 大量の木簡を前に、奈良の御代の官人だって、パソコンを前にしての現代人も、きっと、仕事がうまくいったり、そうでなかったり、同じように悩み、思いを綴っていたんだと思ったのです。

 でも、木簡は千年を超えて残りますが、現代人が認めたデータは、はて、残るのでしょうか。





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恐縮です

「体験とは自分の身を危険に身を晒すこと」
人生そのものですね。
人生の中で、私は、きっと、マイナスになることがわかっていて
それを望んだということがいくつかあります。
でも、それこそ、糧になっていると思っているんです。

No title

コッツウォルズの村・・・そう、イギリスではそういうことがあるんですよね。日本とはその層の深さが違う。非常に興味深く拝読させていただきました。縦横無尽な知識の駆使とそれらを統括する一本のコンセプト。見事です。ぼくもミニ知識を。体験、経験、いずれも「馬」が入っていますが、古代中国では、「馬」は非常に敏感な動物なので、それで占いをしていたことによります。一方で英語では、ex-peri ですから「体験とは自分の身を危険に身を晒すこと」という意味になります。ご存知でしたら御容赦。
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《 11/13 🍁 Tuesday 》
 
🦅ただいま、<Puboo!>にて、『一万年の憂愁』を発信しています。

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縄文と弥生の人々が共存して、互いに文化を交流させている姿を思うことも、時には争いに発展することも、私は、想像をするのです。
さらには、世代間の違いにも思いをいたしたり、文化を異にする外国の地で、思いにふけったりもするのです。
人間なんて、人類の歴史から見れば、この世で活動する期間などわずかなものにすぎません。
しかし、そのわずかな時間でさえ、永遠に記録に残すことも可能なのです。
今回の作品はそうした意図を反映した作品なのです。>

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