膝を床に着いて対する


曇りの日の早朝、ロケットの屹立する公園。池に陽の光が反射しています。


 あれは政権交代がなされた時のことでした。

 時の首相が避難所に赴き、早々に立ち去ろうとするその後ろ姿に、もう帰ってしまうんですか、私たちには声をかけてくれないんですかと被災者が大きな声で呼びかけました。
 記録をもとにして、綴ってはいないので、詳細にこのように発言したかどうかはうろ覚えなのですが、その声を聞いた首相が戻り、その方の話を聞いたということがありました。

 国家のトップに立つということは、視察も、それも、災難に遭っている方への視察というのは難しいものだと思った記憶があるのです。

 先日も、今の首相がヘリの中から被災地を視察している写真に対して、スコップで泥をすくえとネットで書き込んでいる人がいました。
 そう思う以上、きっと、その方は、ひたいに汗して、被災地で苦労をしているに違いないと思ったのですが、よくよく考えてみると、そのような人がこの手のツイートをするわけはないと思ったのです。
 生きるために、周辺の人たちと頑張っているに違いない、そんなツイートする暇などないと。

 世の中には、でも、そうした人たちがいるんです。

 火事場泥棒ではないですが、皆が苦しんでいるときに、空き巣をしたりするとんでもない人たちがいるんです。

 日本人は確かにもの欲しさにトラックに群がったり、人の分も自分のだと強引に受け取ったりしません。交通手段がなければ、やむなく、歩きます。
 大方は、そのような人たちですが、中には、面白おかしく野次を飛ばす人もいるのです。

 私は、そんなことを思いながら、そのツイートを書いた人の心にあるさもしさを感じたのです。

 呼び止められた首相も、ヘリの上から被災状況を視察した首相も、私は被災した人とはまた異なった思いで、懸命だったはずだと思っているのです。
 どうしたら命を救えるのか、緊急物資をいかに効率的に届けることができるのか、現場でなされている対応にどのようなサジェスチョンを与えることができるのか、または、しないのか、そういったことが頭の中を巡っていたことと思うのです。

 環球時報がこのような記事を出していました。

  「在避难所双膝跪地慰问灾民」

 おおよそ誰でも読み取れる一文であると思います。
 両方の膝をつけて、被害にあった方を慰問するというのです。
 何気ない記事ですが、あえて、中国の新聞が「双膝跪」と表記したのは、それが中国ではあまり見かけない慰問の仕方だからだと思ったのです。

 四川で地震があった時、中国首相が慰問を行いました。
 あの時、中国首相は膝を地につくようなことはしていません。もっとも、被災民も体育館のような場所にいるわけでもなく、災害現場に立ったまま、遠巻きに取り囲み、あのテレビでよく見かける首相がきた、あれがおいらの国の偉い指導者だと遠巻きにしているだけです。

 以前、911でアメリカが悲劇のどん底にあったときも、アメリカ大統領は多くの消防士を後ろに控えさせて、アメリカはこうまでされて指をくわえていることはないと言葉を吐き、これまた喝采を受けていました。
 もちろん、アメリカ人らしく、被害にあった家族には、その肩を抱き寄せ、その身で包み込むようにしていました。

 国によって、トップが災害や事件現場をおとづれての振る舞いは異なるのは当然です。

 膝を折って、被災した人の目線になって、接するというのは、確かなことはわかりませんが、おそらく、天皇陛下がお見舞いに訪れたあの雲仙での訪問が最初ではないかと思っているのです。
 体育館に入ってきた天皇皇后両陛下がそれぞれ別の方角に移動し、共に膝をついて、被災者の目線の高さで、手を取り、話を聞いていました。
 滴り落ちる汗も吹かずに、一人一人を尋ねたというあのことから、それは始まっているのではないかと思っているのです。

 それを見た私を含めて、きっと、多くの日本人が、その姿に感動をしたはずです。
 家族を失った悲しみも、家をなくした落胆も、これからの生活をどうしてやっていくかという不安も、だからと言って拭い去ることはできませんが、それでも、あの天皇陛下が自分の目の前で膝を床について、語りかけ、話を聞いてくれるのです。
 
 私、膝が悪く、運動するときはサポーターをしないといけないのですが、それでも、その真似をしてみました。
 大変なことです。
 並大抵ではできないことです。

 だから、国民の圧倒的多数は感動し、敬愛をするのだと思うのです。

 先だって、北の御曹司、どこか工場を視察したと報じられていました。
 用意された椅子にも座らず、掃除もされていないコンクリートの上に座り、お尻を真っ白にさせて、そうまでして工場の責任者を叱咤したというのです。

 私、そっと笑いをこらえました。

 そのくらいのことなら、私でもできる、って。
 そうじゃないのです。
 トップにある人というのは、国民の側に立って、思いを巡らすことが何よりも肝要なのです。

 私は自分の国日本に、懸命になって国民のことを思うトップが、首相のみならず、幾人もいることを素晴らしいことだと思っているのです。





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<時の感覚というのは、実に不思議です。
縄文と弥生の人々が共存して、互いに文化を交流させている姿を思うことも、時には争いに発展することも、私は、想像をするのです。
さらには、世代間の違いにも思いをいたしたり、文化を異にする外国の地で、思いにふけったりもするのです。
人間なんて、人類の歴史から見れば、この世で活動する期間などわずかなものにすぎません。
しかし、そのわずかな時間でさえ、永遠に記録に残すことも可能なのです。
今回の作品はそうした意図を反映した作品なのです。>

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