たましいの声

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家路を急ぐ車が信号で足止め。空の向こうでは、雷が遠くに光ります。光は美しいものです。それがたとえ大きな音を立てて、人をおどかそうとも。そんな光景をバルコニーから眺める夜でした。


 中国では、セミは「知了、知了」って鳴きます。

 中国語の発音では、<Zhi Liao, Zhi Liao>って発音しますから、きっと、アブラゼミのジッジッジッと鳴きはじめ、次第に勢いをつけ、一気に「ジジジジジジジ~」と続き、終わりの方は「ジ…ジ…ジ…ジ…ジ…」と尻すぼみ鳴く、あの音を表現しているのだと思っているのです。

 決して、「おいらはなんでも承知の助よ」なんて意味ではなく、音の似た漢字を使っているだけなのです。

 学校が夏休みに入る頃、ミンミンゼミが鳴き出します。
 カバンには通知書が入っています。
 それを親に見せ、よくやったろうと自慢するのです。その楽しみを胸に秘めて、ミンミンゼミの鳴き声を聞きながら、あぜ道をたどって家路を急ぎました。

 何より、学校に行かずに、家で好きなことができる四十日の自由時間がこれから始まるのです。胸をときめかすのは当たり前です。
 蝉時雨という言葉がありますが、その言葉の通りに、ミンミンゼミの鳴き声がこれでもかこれでもかと降ってきたものです。

 夏が時を刻んでいくにつれて、鳴き声はアブラゼミのあの強烈な鳴き声に変わり、終わる頃には、法師蝉が辺りを圧倒してくるのです。

 法師蝉とは、ツクツクボウシのことです。
 「オーシンツクツク」と、おい、自由時間が終わっちゃうぞ、終わっちゃうぞとせっつくように鳴きます。
 それを聞くとなんだか切なくなるのです。
 おいらの自由な時間も後わずかだと思うからです。

 だから、私は、昔から、ミンミンゼミの降るような鳴き声が好きだったんです。
 そこには、未来があるような気がしていたからです。

 先だって、まだ、日中の38度という高温の余熱が残るバルコニーに出て、水をすっかり切らし、葉をだらんと下げた朝顔の鉢に水を注ぎ込んでいる時でした。
 道路の向こうにある研究所の林から、「カナカナ」と音がしてきたのです。

 あれ、ひぐらしの声だ。
 これって、今頃、鳴くのかな、もう少し秋めいてからではなかったかしら、とちょっと不思議に思ったのです。
 
 でも、確かにひぐらしです。
 薄明の日の出、日の入りの頃合い、気温が幾分下がった頃に鳴くひぐらしに間違いありません。「日を暮れさせる」からひぐらしの名前が与えられたというセミです。

 しかし、それにしても、何故、そんなに寂しい、切ない声で鳴くのかと、水を出しっぱなしにして、バルコニーから道向こうの林をうかがってしまったのです。

 そして、あの『伊勢物語』の一節が出てきたのです。
 
 巻のいくつだったかは忘れましたが、こんな話です。

 それなりの身分ある人の娘がおりました。
 大事に育てられたその娘が、ある男に思いを寄せて、親しく語らいたいと思っていました。しかし、女からその思いを口には出せずにいました。そのうち、思いが高じて病気にかかり、命の危険にまでいたりました。そして、こんなに死ぬぐらい、あの人のことを思っていたけれど、もういけませんと言うのです。親はそれを聞きつけて、その男に娘のことを知らせました。
 男は、すぐに娘の家にやって来ましたが、娘は死んでしまったのです。

 そんな話です。
 そして、男が二首の歌を読みます。
 
 飛びゆく蛍よ、雲の上まで行くのだったら、秋の風に乗って、
  この娘の魂をつれてきてと雁に告げてほしい

 容易に暮れない夏の日の夕暮れ、ひぐらしの声を聞きながら、
   もの思いにふけっていると、何ということもなく悲しいのです

 きっと、この話が私にひぐらしの声が寂しげなものであることを決定づけているに違いないと思っているのです。

 でも、この男、何故、女の気持ちを察してやれなかったのだろうか。
 そして、思いを心に留めて、男への思いを募らせる女のありようは、まるで、ひぐらしが林の中で、夕暮れ時に、「かなかなシィ」と鳴いているように思えてならないのです。
 
 その日、私は、バルコニーのランプに火を灯して、しばらく時を過ごしたのでした。
 まるで、男に代わって、女の弔いをするかのように。





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《 5/24 🏇 Friday 》
 
🦅 本日、<カクヨム>にて『天皇陛下の親指』を発信しました。


『天皇陛下の親指』



日々の生活の中で、ともすると、何気に見過ごしてしまうこと、そんなことにもちょっとした注意を向けてみますと、そこには奥深いものがあることことがわかります。
コアラの国に暮らす人々との関係を通して、私は飽きることなく、その奥深いものを感じ取っているのです。
そして、その奥深いものが、私が暮らす日本という国を見つめなおさせてくれるのです。
何気に見過ごすのではなく、意図して、身の回りのありようを感じ取っていくのです。
「私小説」という言葉が、日本にはあります。
だとするなら、これは「私的日常綴」ともいうべき代物なのです。

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