耀(かがよ)う海

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木立の向こうに見える明るい芝生のグラウンド。この構図、何か素晴らしいものがそこにあるという構図だと思っているんです。例えば、オックスフォードでは、赤色を帯びた石の建物の、その豪勢な門の向こうに見える芝の庭のように、学生の心を勇気付ける、あれと同じなのです。今日は「大暑」。暑さにも限りがあると、「立秋」のみどり鮮やかな気持ちいの良い天候も同じなのだと。だから、私はこの緑は、素晴らしい季節の到来を予感させるものだといつも思っているのです。



 大久野島に行くために忠海港で船待ちをしていた時です。

 目の前にいくつもの島影を見ることができました。
 地図の上では、大崎上島とか、大三島とかあるのですが、目に映る島影では、どれも同じに見えて、どうも判然としないのです。
 私の生まれ育った関東では、あの大海原の白波たつ向こうに見えるのが大島だ、初島だとわかるのですが、この瀬戸内の光景はそうではないのです。

 人は、きっと、育った環境の中で、ある種の光景を、あたかもその人にとっての絶対的な心象風景であるかのように育むのだと実感をしたことがあるのです。

 若い時分、冬に、北陸を旅したことがあります。
 その半年前、夏の北陸で、下駄を鳴らしながら歩いたときの、あの随分と色輝き、しかも、暑くて辟易したことが記憶にあったからなのでしょうが、冬の北陸のあの日本海の無愛想な趣には驚かされたのです。

 灰色の海。
 寄せる波が白い泡となって、その泡が冷たい風で頼りなく吹かれているのです。

 これは私の持っている海ではないと、その時、私は思ったのです。

 もちろん、瀬戸内の穏やかな、いや、まるで鏡のように眩しく光っていた海も、私にとってはそれは私の持っている海ではないと思ったのでした。

 私の中の海というのは、それは九十九里の海なのです。

 小学校の六年間、毎年、夏休みが始まるとすぐに、九十九里のちょうど真ん中にあたりにある街で、八月のお盆まで過ごしていたのです。父の田舎がそこにあり、私よりちょっと上の子たちと野球をやり、海で泳ぎ、川で魚を取り、煮干の仕事を遊び半分で手伝っていたのです。

 ですから、私にとって、海は、左右に広々ときめの細かい白砂がとこまでも続き、目の前には大きな波が音を立てて押し寄せ砕け散る、そんな海だったのです。
 水平線は濃紺の色合いを淡い空と接し、さらにその上には入道雲がこれでもかと空を圧しているそんな海だったのです。

 その海を眺めながら、この海のはるかかなたにアメリカという国があるんだ。
 いつの日か、私はそこにいけるだろうかとおぼろげに思っていた記憶があります。
 アメリカに行くために、こうしようとか、そのために、ああしようとか、そんな偉人のような考えも行動もありませんでした。
 そうではなくて、単に、憧れとして、あの素晴らしい国に行ってみたいというごくごく普通の思いで、海を眺めていたのです。

 残念ながら、北陸の海では、あの海の彼方にある得体の知れない国には、一抹の思いも至りませんでした。
 忠海の島の影の間を縫うようにある海でも、きっと、子供の頃、思っていたような、アメリカに行きたいなんて思いは起きなかったに違いないと思ったのです。

 だから、その後、アメリカもヨーロッパも、アジア各地も訪問する機会を得たことは、きっと、あの九十九里でのさりげない思いが多少とも作用しているのではないかと思っているのです。

 世界各地に行って、この海は素晴らしいなと思う光景はあの九十九里と同じ光景なのです。
 
 何よりも、ゴールドコーストの海は、あたかも、九十九里の海かとも見まごうほどの海の形なのです。
 白い細かい砂、左右に広がる浜辺、目の前にあるのはひたすら海、そして、大空です。

 もちろん、北陸や忠海の海を見て育った方を、私は愚弄しているわけではありません。
 きっと、そこの海を見て育った方には、別の形での思いが、海によって作られているに違いないと思っているのです。

 そうそう、ゴールドコーストの海岸で、ノートを広げて、鉛筆を持って何やら勉強している少年たちを見たことがあります。
 砂浜にノートを置いて、書きにくいだろうに、それでも、二人でああだこうだといいながら勉強しているのです。
 そんな光景を遠目に見ていて、私の中にある一つの記憶が蘇ってきました。

 皆が庄ちゃんと読んでいる子と九十九里の浜で、あの炎天下で、幾分湿った砂の上で、ノートを広げて、知っている漢字を、しりとり遊びのようにして書いていたあの時のことを。

 庄ちゃんは、私たちの仲間でしたが、とても頭が良く、そのことで、仲間から一目おかれていたのです。
 私より、五歳ほど上だったと思いますが、それでも、私が漢字をよく知っているというので、しりとりで漢字の競い合いをしたのです。
 年長の庄ちゃんが最後には勝つのですが、それでも、私も良く頑張りました。

 朝ごはんを食べると、勉強道具を持って、道向こうにある庄ちゃんの家に行って、道路に面した蔵の二階で、宿題をやり、それから海に行って、そこで漢字しりとりをしていたのです。
 
 勉強は大切だよ。
 だって、勉強すれば、道が開けるじゃないか。
 やりたいことがなんでもできるようにしてくれるから勉強は大切なんだ。

 そんなことをよく言っていました。
 庄ちゃんは地元の農業高校を出て、農家である家の跡取りになっていきました。
 
 私が、アメリカやその他の国にいけたのは、庄ちゃんの勉強は大切だというあの言葉があったからも知れないと、ゴールドコーストの浜でノートを広げている二人の少年を見た時、私は、そう思ったのです。

 やはり、九十九里は、私にとって、耀う海だったんだと。





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