首刈り族の家

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明日はいい天気なのか、それとも、狂ったような天気になるのか、小豆色の夕焼けを見たのです。



 首刈り族って知っているかいと、久しぶりに会った友人が問いかけてきます。

 なんだい、今度はそんな奴らがいるところに行くのかいと私が言います。
 この男、いい歳をして、今だに独り者。
 でも、私にとっては、実は、憧れの男なのです。

 俺はさ、冒険家じゃないんだから、そんなわけのわからない奴らが暮らしているところになんかいかないよ。

 そうじゃなくて、首刈り族っていうのは、ツリーハウスに暮らしているんだ。
 そんな家に住んで見たいと思ってね。

 要は、その首刈り族が暮らす島に行って、そのツリーハウスなるもので暮らしたいと、つまり、首刈り族の村に行くってことではないかと、私、突っ込んだんです。

 首刈り族は、昔、そうであったというだけさ。
 日本人だって、昔は、首刈り族だぞと、彼も私に突っ込んできます。

 いくさずきで、負けたものは首を取られるんだから、挙句に、その首が晒される。もしかしたら、日本こそ、世界最大最強の首刈り族の子孫かもしれんぞと極論を展開します。

 いやね、誰かが言っていたんだが、それが誰だかはもうとっくに忘れているんだけれど、「男子たるもの、一生に三度、家を建てるべし」って。
 でも、俺、今まで一度も家を建てたことないんだ。
 死んだ親父が残してくれた家に、それも雨漏りのするような家に暮らしている。

 それに比べ、お前は俺から二度の新築祝いをかっさらっていった。
 つくばに家を建てた時、その家を建て増しして、祝いの席に呼ばれた時、俺はお前に新築祝いをやったことを覚えているだろう。
 祝いって言ったって、ワインをひと瓶持ってきただけだろう。
 それも、安い甲州葡萄酒ってやつを。

 それに、<男子たるもの三度家を建てる>っていう言葉があるとするなら、俺はすでに三度家を建てたと言っても差し支えないんだ。
 怪訝そうに私を見つめる友人に一呼吸をおいて、船だよと言ったのです。

 中古船を買い、それを補修する。機械類のことはわからないから、専門家にお願いするけれど、そのほかのことは、特に、キャビンの内装は自分でできる。
 おいらは、船で湖をクルージングするというより、船でひと時を過ごす、言うなれば、船は俺の別荘なんだ。
 だから、俺は家を三度建てたというその言葉を実践した男子の一人なんだと胸を張ったのです

 私の友人、私の言葉を聞いて、ちょっと寂しげな表情になりました。私、ちょっと言葉がすぎたかなと反省したのです。

 俺は、連れもいないし、当然、子もいない、俺はあの家で、ひっそりと死んでいくんだ。だから、お前に、俺の最期の面倒を見て欲しいと思っているんだ。 
 そんなことを言いにきたのではなかろうと、私、話題を強引に戻します。 

 そうそう、ツリーハウスで過ごすなんて素敵じゃないかと思ってね。 
 で、その首刈り族、なんで、ツリーハウスを作ったかというと、敵対する他の部族からわが身を守るためだっていうんだから面白い。 
 何が面白いのかというような顔で話を聞いている私の顔色を伺っています。

 だって、そうじゃないか、ヤシの木のてっぺんに家が建っているんだ。
 男だって、てっぺんにある家に行くには相当な労力が必要だ。そこに妻子を住まわせるんだ。やっと登った妻子がまたやっとの思いで登るなんてと、一旦、登ったらそうそう簡単には降りてこられない、つまり、男は、妻子のための食料を調達するために、普通に暮らす以上の労力を必要とするわけだ。

 でも、家というのは、くつろぎがないといけない。
 だから、そのような苦労をしてもきっと何かいい面があったんだと思うんだ。
 友は、そう言います。

 つまり、ツリーハウスの利点だ。

 一つには、風の涼しさ、暑い島だけれど、上空は地上に比べ幾らかは気温も低いだろうし、風が心地よく吹いているはずだ。それに、夜の満点の星、それを独り占めだ。
 友は、憧れの表情で、そう語るのです。

 その表情にバケツで冷や水をぶっかけたのは私でした。

 嵐の時は大変だ。地震どころの騒ぎではない。不規則にあっちに揺れ、こっちに揺れ、生きた心地もしないだろう。満点の星というけれど、それがどうした。星はどこにいても見ることができる、浜でも、丘でも、どこでも見ることができる。
 だから、彼らのツリーハウスというのは、敵の部族が攻めてくると知ったときに、その時に避難する家に違いない、それに、南洋の女たちは見事に肥えている、そうそう簡単に二十メートルも三十メートルもあるツリーハウスに登れるはずがない。

 お前は首刈り族だなと私の友人が私を恨めしそうに見て一言ボソッと言いました。

 私は、彼を書斎からバルコニーに連れて行きました。
 暑い日差しが、水漏れをしないように塗布したシリコンを熱していますから、サンダルを履かせ、ひときわ大きいバルコニーに案内したのです。
 ここは二階部分にあたるけれど、これだけの高さであっても、バルコニーが意味を持つのは、ちょっと遠くを見渡せるということ、人というのはちょっと高いところに目線をおくだけで、その目に、下にいるだけでは見えない何かを見いだせるということなんだ。それに、バルコニーは屋根がない。だから、外とまるきり同じなんだ。

 これを作ったのは、まさに、私にとってはツリーハウスと同じなんだよ。
 そう言ってやったのです。

 友人は、そこに置いてあったガーデンチェアに腰掛けました。

 そして、独り言ちたのです。
 木と木をつないで、さらに木と木をつないで行けば、ちょっとした風にも動じないだろうし、取り外しの可能な階段をつけておけば、誰でも容易に上がってこれる。それに敷地、いや、敷台も広くなるから、このようなバルコニーも作れる。ここより、ずっと高いところにガーデンチェアを置いて、くつろぐんだってなことを言っているんです。

 こいつ、昔から、いい歳になるまで、こうして夢見心地で生きているんだと私思ったのです。
 そして、そんな人生だってありなんだとも、私思ったのです。

 こいつ、きっと、自宅のボロ屋はそのままに、あのちょっと広い庭の木に板をかけて、そしてきっと、二階の洗濯干し場からツリーハウスに渡れる板を通すはずだと。
 まぁ、彼の家だし、好き勝手にやればいいと、彼の横顔を見たのです。

 その時は、新築祝いにシャトーブリヤンでも持って行って、一緒に飲もうと思ったのです。





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<時の感覚というのは、実に不思議です。
縄文と弥生の人々が共存して、互いに文化を交流させている姿を思うことも、時には争いに発展することも、私は、想像をするのです。
さらには、世代間の違いにも思いをいたしたり、文化を異にする外国の地で、思いにふけったりもするのです。
人間なんて、人類の歴史から見れば、この世で活動する期間などわずかなものにすぎません。
しかし、そのわずかな時間でさえ、永遠に記録に残すことも可能なのです。
今回の作品はそうした意図を反映した作品なのです。>

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