パデイックのシャツ

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端材ー捨てられる運命に、あるいは、忘れ去られ物置の奥に何十年も置き去りにされる木材。それを壁飾りにしたものです。遠目には、彫りの深い彫刻のようです。こうした作品は、本当に価値があると思うのです。


 自宅で仕事をするようになって、それまで学校に勤めているときと違ったことがひとつあります。

 それは「おしゃれをする」ということです。
 家にいるからと、おしゃれに無頓着になったとのではなく、反対に、「おしゃれを楽しむ」ようになったのです。

 考えてみれば、学校に勤めているときは、スーツに白いワイシャツ、それに黒い革靴と決まっていましたから、おしゃれをしようにもしようがなかったと言えます。
 せいぜい、シャツをボタンダウンにするとか、靴下をバーバリーの柄物にするとか、そのくらいであったのです。

 家で一日、デスクに向かっている私は今、ひとつ心がけていることがあるんです。

 それは、その姿で、外に出られない恰好はやめようと言うことです。
 家にいるんだから、こうしてとてつもない暑い日が続くんだから、上半身裸でいいと言うのはやめようと言うのです。
 デスクで仕事をしていて、ちょっと気晴らしに散歩に出るとき、改めて、自分の衣服を整えるのではなく、そのまま外に出て行ってもなんら問題なしという風にしようと心がけているのです。

 先だって、この夏はアロハシャツが欲しいなって、ふと思ったんです。
 この暑いさなか、アロハシャツなら気分的に涼しくなれるだろうし、アロハなら着心地も楽だし、そのまま外に出てもおかしくはないと、そんな短絡的な考えからです。

 そんな意識を持って、外出すると、随分と意識的に目に入るものだと感心するのですが、アロハシャツの男性が殊の外多いことに気がつくのです。
 しかも、自分と同じくらいの男性が色あせたアロハシャツを着ているのです。
 
 そうすると、私、己の姿恰好も顧みずに、俺はあんな年寄りみたいな恰好はしたくないなんて独りよがりにも思ったりするのです。
 アロハを着ているのは、年配の男、しかも、腹を出して、頭は禿げて、足は殊の外短くて、なんと無様なんだと。

 私のアロハシャツを欲しいという気持ちは一気に失せて行ったのです。

 だから、ボタンダウンの白いシャツで、背中にボックスプリーツという縦に一本ひだの入っている、それに、ボックスプリーツの一番上にハンガーループが付いているのを好んで着ているのです。
 第一ボンタンを外して、それでも襟元は立てて、そうすれば、裾は外に出しても様になりますから。
 
 クールビズだと言って、ネクタイをしないでいい恰好が定着してきましたが、政治家で、よろよろの襟でダブダブのシャツを着てテレビに出ていますが、あれはいけません。

 外見は殊の外大切です。
 とりわけ、政治家や教師はそうです。
 あれだけだらしない恰好でいるくらいなら、スーツにネクタイをしていた方がずっとその政治家なり教師なりの威厳を保てることができます。
 暑いという理由だけで、自らを貶めるようなおしゃれはしてはいけないと思ったのです。

 そんなある日、そのボタンダウンのシャツ、もっとあったはずだなと、クローゼットの中を見ていましたら、「バティックのシャツ」と私が呼ぶものが出て来たのです。
 すっかり忘れていたシャツです。

 バティックというのは、インドネシアのろうけつ染で染められた「バティック柄」の布でできたシャツと、私は勝手に定義付けしているのですが、それはクアラルンプールの東南アジア伝統衣服専門店で買ったものでした。
 東南アジアの神秘的な柄ではあるのですが、現代的にアレンじされたデザインで、シルクでできた長袖のシャツです。

 これ、いいではないかと、私、その日本では一度も着ていないシルクの光沢もツヤツヤしたサラサラのシャツを手にとったのです。

 ジーンズにも合うし、短パンにビーサンでも合うと、有頂天になりました。
 それに、幾分太っているときに買ったものですから、いまの幾分痩せた体にゆったりとおさまって、心地よいのです。

 ですから、先だって伊豆に出かけたとき、私はそれを着て行ったのですが、とてつもない暑さの中、長袖のゆったりしたバテイックとはいえ、到底我慢できるものではありませんでした。
 だから、つくばの駅で、半袖のボタンダウンのシャツに着替えて、私は出かけて行ったのです。
 
 そして、私思ったのです。
 どうも、日本人である私は、人と違うところを見せたがるところがあるな、それがために、極端に差別化を意図しがちだなと。

 東南アジアの国の人が着るシャツだからと言って、彼らはそれを着てあの暑い街を歩くことはないのです。シルクであればなおさら、冷房のがんがんきいた部屋の中でそれを着て、幾らかの暖を取り、会話を楽しみ、食事を楽しむのだと。

 それを忘れて、あの殺人的な暑さの中出て行く己の馬鹿さ加減に呆れてしまったのです。

 結局、バテイックのシャツは伊豆では出番がありませんでした。
 でも、スーツとネクタイと決まったものを着るのではなく、このシャツならそのズボンというように考えるのは楽しいと思ったことは確かです。

 さて、このパデイックのシャツ、どの場面でどう着るか、いま、思案をしているところなんです。実に楽しい限りです。





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えらいでしょう

そうなんですよ。
見栄っぱりではないのですが、気持ちの問題なんです。
コメントありがとうございました。

No title

えらいわー。
早朝はパジャマのまま仕事している自営業者です(-_-)ウーム
見習わないといけません。。。とちょっと反省中。。
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nkgwhiro

Author:nkgwhiro
ご訪問
ありがとうございます

《 5/24 🏇 Friday 》
 
🦅 本日、<カクヨム>にて『天皇陛下の親指』を発信しました。


『天皇陛下の親指』



日々の生活の中で、ともすると、何気に見過ごしてしまうこと、そんなことにもちょっとした注意を向けてみますと、そこには奥深いものがあることことがわかります。
コアラの国に暮らす人々との関係を通して、私は飽きることなく、その奥深いものを感じ取っているのです。
そして、その奥深いものが、私が暮らす日本という国を見つめなおさせてくれるのです。
何気に見過ごすのではなく、意図して、身の回りのありようを感じ取っていくのです。
「私小説」という言葉が、日本にはあります。
だとするなら、これは「私的日常綴」ともいうべき代物なのです。

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