四十年前のカセットテープ

439r0diju4ftbak7493
帆船は、私に取って憧れの乗り物です。でも、実際、乗ってみようとは思いません。遠くから眺めて、その美しさにうっとりするだけです。


 お盆の期間、私も世間並みに、仕事の手を休めました。

 自宅で仕事をするようになると、オンオフのけじめをつけるのが難しいのですが、正月と盆だけは仕事から離れるよう、心がけているのです。
 日頃から気になっている箇所がありました。
 和室に私が設えた棚がありますが、そこにたくさんのカセットテープ、ビデオテープが、一応は綺麗に並べられているのです。
 しかし、掃除をしていませんせんから、埃が溜まっている、だったら、盆の休みを使って、そこを掃除しようと思っていたのです。

 今では滅多に聴くことも視ることもなくなったテープ類ですが、私の大切な財産なのです。

 案の定、小一時間もあれば終わる作業が、とんでもないことになりました。
 1978年に早稲田大学教員学生訪中団の一員として、中国を訪れたときの音声テープの数々が出てきてしまったのです。

 その中の一つに、「付先生と北京民族飯店の一室にて」と書かれた一本のカセットテープがありました。

 私たち一行の通訳兼案内を担当した北京第二語言学院卒業の付金安さんと私の会話が記憶されているテープです。彼が私の部屋を訪ねてきて、日本語と中国語で会話した一部始終を録音したテープです。

 当然の様に、私は、拭き掃除そっちのけになりました。

 カセットデッキを持ってきて、それに聴き入ってしまったのでした。
 40年も前の、若き日の私の声をこそばゆく感じながら。

 私が普通よりは長く学生をしていることを怪訝に思い、付先生は、何やらよろしくないことをたくらむ日本のスパイではないかと勘ぐって、ホテルの一室に私を訪ねてきたのです。
 確かに、そのことから彼の言葉は始まっているのです。
 私は、事の成り行きを正直に説明をしました。嘘偽りなく、自分の決して褒められない青き時代のあれこれを語ったのです。

 日本では、自由があっていい。
 中国ではそうはいかない。大学に入るにも、職場の推薦がいるし、大学を出るときも就職先は自分では決められない。
 付さんは、そんなことを言っています。
 どうやら、スパイの嫌疑は失せ、純粋に、私の自由な人生を羨ましく思ってくれたようです。

 そんな折も折、新聞でも、日本国公使堂ノ脇光朗が1978年8月10日の北京での園田外相と鄧小平との会談の模様を自らの言葉で記録したテープが発見されたという記事を目にしたのです。

 12日、「日中平和友好条約」は、この二人の政治家によって北京で調印されました。
 それを受けて、翌13日、私たちは、香港の羅湖から歩いて深圳に入ったのです。

 あれからもう40年も経過したんだと、ひとしきり、時の移ろいの速さに感慨を深くするのです。

 当時、容易に行くことができない未知の国が中国でした。
 中国に行くことで、口さがない親戚の、あいつは中国かぶれだという声を背にして、親から旅行の金を借りて、出かけた中国行は、私にとっていかなる旅であったのかと自問することしきりのひと時でした。

 記事には、鄧小平の言葉が残されていました。
 「将来、中国が強くなったときでも永遠に覇権を求めないよう中国を拘束するものだ」
 「この問題は、横に置いて、討論したらよい。数年、数十年、百年置いてもかまわない」

 最初の文言は、鄧小平が中国の改革開放政策がやがて花を咲かせ、実を結ぶことを予言したものです。しかし、それでも、人民の国である中国はアメリカやソ連のように、政治や経済、さらには軍事で、日本に対して覇権を求めないことを述べたものです。

 次の文言は、日中の懸案となっている尖閣についてです。
 中国の言い分に無理があることを、この英邁な指導者は察知していたのでしょう、それゆえ、ごり押しをせずに、今大切な分野で日本の協力と投資を望んだのです。

 でもと、思うのです。
 中国は、日本を追い抜き、世界第2位の経済大国になり、二つのシナ海で悶着を起こし、今、アメリカと貿易戦争をしています。
 まさに、覇権闘争の真っ只中にいるのです。
 日本に対しては、人民解放軍の傘下に入った海警局の船が、ついこの間も尖閣に出てきて、我が国の領海を侵犯しているのです。

 どうやら、習近平は40年も前に、自国の最高指導者が日本政府に語り、その結果、結ばれた条約を一方的に破棄しているとしか思えないのです。
 そうして、私は、ひとしきり、憤るのです。

 あの付金安と私の会話のテープの終わりの方です。
 彼が私に言います。

 「私は、中国にとって日本が大切な国だと思っています。ですから、日本語を専攻しました。私の日本語は、素晴らしいでしょう。でも、私は、英語ができません。あなたは、中国語も英語もできます。そんな国の学生になりたいと思うのです。」

 私の中国語など、褒められる代物ではありませんが、彼にとっては、好きに言葉を学べ、それを使えることが大切だったのです。
 中国は、確かに、40年前に比べると、経済的にも、政治的にも、そして、軍事的にも「大国」「強国」になりましたが、「自由」という点では少しも進歩していません、むしろ、退行しているのです。

 クマのプーさんさえも、それが習近平を小馬鹿にすると検索もできない国なのです。

 拭くために取り出したカセットの山の中に、ジョン・レノンの「サムタイム イン ニューヨークシティ」のジャケット写真を雑誌から切り取りそれを貼ったカセットがありました。

 あの時代、私はラジオで放送された音を録音していたのです。
 レコードは学生の私にはきっと高い代物であったに違いありません。
 そのジャケットを見ると、毛沢東とニクソンが裸でダンスをしているコラージュがありました。

 ニクソンも、毛沢東も、何も言わなかった時代だったんだと、いい時代ではなかったか、そんなことをしなくても、権力は盤石だった時代だったんだと、一人勝手に思ったのです。
 だったら、今、習近平も、トランプも、そうではないんだとも。
 
 思いはとめどもなく広がり、ついに私は、その日の後片付けをやめてしまったのです。
 40年前の様々な思い出を和室に散らかせてままにして。





自分らしさランキング

コメントの投稿

非公開コメント

プロフィール

nkgwhiro

Author:nkgwhiro
ご訪問
ありがとうございます。

《 9/23 🎂 Sunday 》
 
🦅ただいま、<Puboo!>にて、『nkgwhiro短編作品集「ある夏の五つの物語」』を発信しています。今回は有料作品となります。五つの物語のうち、試し読み作品をひとつ設定してあります。ぜひ、お目を通してくださればと思います。

<15.304字 400字詰原稿用紙38枚                            夏は、物語するにもっとも良い季節です。
開け放たれた扉の向こうから、異人たちも遊びにきてくれます。出かけた先でも、異人たちは向こうからやってきてくれます。
そんな異人たちとの出会いを綴った「nkgwhiro短編作品集」です。>

下の[リンク]欄からアクセスして読むことができます。

❣️<Twitter>では、『ものかき』として、朝と晩『つくばの街であれこれ』の更新情報をつぶやいています。下の[リンク]欄からアクセスができます。

⏬下の[リンク]欄から、歴史小説『一門』『福明と李福』、旅行記『ポーツマスの旅』、また、<水彩画>など、<nkgwhiro>の創作活動にアクセスができます。  

皆様のアクセスを心よりお待ちしております。🙋‍♂️

リンク
最新記事
カテゴリ
月別アーカイブ
フリーエリア