つくばエクスプレスでコーヒー

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赤い中国茶碗の上に、カナダで買ってきたリアルな小鳥がとまっている図。
もう、どちらも傷だらけです。
それでも、それぞれに思い出があり、捨てるに捨てられないもの。
だから、傷を負ったもの同士、こうして一緒に癒しあっているのです。



 東京に出るとき、つくば駅の改札前にあるスターバックスでスモールサイズのコーヒーを注文して、それを手にして、私はつくばエキスプレスの四人掛けの席の窓側に陣取るのです。

 通路側ですと、そのコーヒーカップを安心して置けないからです。
 それに、車窓を見るのは、実に楽しいことですから、だから、日差しでカーテンを閉められないよう、必ず、進行方向右側の筑波山を見ることのできるシートに座るようにしているのです。

 昔だったら、車内でコーヒーを飲むなんてことできなかったのですが、この手の店ができてから、コーヒーの持つステータスが大きく変わったなと、車窓を流れる風景を見ながら考え込むのです。

 この日、私の席の斜め横、ドアーのそばの二人掛けの席で、うら若き女性がおにぎりをほうばっていました。
 この暑いのに、黒のリクルートスーツを着ています。 
 大学卒業を前に、きっと就職活動で東京に出かけるのだろうかと、余計なことを考えます。

 三角形に包まれたサンドイッチと小さいペットボトルのジュースで腹ごしらえをして、慌ただしく、カバンの中から何やら書類を出して、それに目を通しています。
 しかし、連日の疲れが溜まっているのか、程なく、頭がグラグラ、首が折れるのではないかと思うほどカックンとやり始めました。

 サンドイッチもコーヒーも、私が若かった頃は「喫茶店」で食べたり飲んだりしたものだったなと、私思い始めたのです。

 家で、コーヒー豆を挽いて、それを淹れて飲める時代ではありませんでした。
 喫茶店のコーヒーは、家で飲むインスタントコーヒーの粉っぽい味とは雲泥の差がありました。香りも、コーヒーカップも、そして、そこに用意されるシュガーとミルクも家庭では出てこない代物でした。
 各喫茶店では、サービスにマッチを配っていて、それを集めるのがまた楽しかったことを思い出したのです。

 喫茶店に入って、一杯300円のコーヒーはアルバイト代ぐらいしか収入のない学生には高価な贅沢品でした。それでも、300円で一杯の美味しいコーヒーと耳に心地よい音楽と、座りごごちのいいソファー、さらには、無料の冷たい水を何倍でも飲めて、そこで、2時間ほど本を読めれば、300円もだいそれた出費とは思えなかったのです。

 300円のコーヒー代で一冊の文庫本を読み終わったという離れ業をしたこともあります。
 もっとも、あまり面白くない本で、俗に言う斜め読みですから、頭には残っていません。ただ、2時間のコーヒータイムの中で、150円で買った文庫を読みきり、喫茶店の小さな書架においてきてやった思い出だけが残っているだけなのです。

 御茶ノ水の駅前に、エリカとか言う大きな喫茶店がありました。
 数人で入っては、そこで議論をしていました。用事があるからと一人が出て、また別の人が入ってきます。
 そのうち、皆が、会計は済ませたものと勘違いし、誰も何も払わずに喫茶店を出てしまったのです。店の人も気づいていませんでした。
 あとで、皆からコーヒー代を集めて、謝りながら、届けたことがあります。
 店の人が、あっけに取られて、次回から間違いのないよう会計を済ませてくださいと、その金を受け取りませんでした。
 おおらかな時代であったのかもしれません。

 御茶ノ水の駅前の再開発の始まる前に、長い間、通っていた喫茶店に出かけて行ったことがあります。
 夜、遅く行くと、明日にはお客さんに出せないケーキだからと、いちごののったショートケーキをサービスしてくれるのです。
 そのミロという喫茶店が店じまいするというので、かつて一緒に通った友人と誘い合わせて、コーヒーを飲みに行きました。
 一杯700円するコーヒーです。
 昔、こんなに高かったかしらと思いつつ、そのコーヒーを飲み、ママさんと親しく話をしたのは数年前のことです。
 
 ミロになぜ通ったのかといえば、そこでは、毎月、飾られる絵が異なるからでした。
 ママが言うには、あなたがたも絵を描いたら、持ってきなさい、ここに飾って、買いたいという人がいれば売ってあげるから、売ったお金は全額クリエーターに渡すわよって、でも、その頃、絵を描く余裕などありません。
 でも、その絵を見に、一杯のコーヒーと、友人たちと議論することを楽しみにしていたのです。
 
 そんなことを思うと、スターバックスとか、ターリーズとかそんな店ができて、気軽に安くコーヒーを飲めるようになったのは大歓迎ですが、何か、コーヒーにまつわりつく「文化」が削ぎ落とされてしまったようにも感じるのです。

 コーヒーは、創造のための道具であったのが、そうでなくなった。
 高価なカップで、優雅に銀のスプーンで注がれたコーヒーをかき回すことで頭に浮かぶナイスアイデアも、あの紙コップでプラスチックのスプーンではなんの意味もないような気がしたのです。
 
 今、街に出て、かつてあったような喫茶店を探すことは容易ではありません。

 時代の流れの中で、滅びつつある一つの文化が喫茶店のそれではないかと、私、車窓の景色が田園から都会の家並みに変わった頃思ったのです。





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今となっては昔の話ですね

そんな喫茶店
本当になくなりました。
時代の流れとはいえ、寂しい限りです。

昔の話

おおらかだった時代、嫁と出会ったのもそんな喫茶店兼レストラン。
好きな写真を飾ったりね。
じゃぶじゃぶの本物アメリカンが売りの街道沿いの店。
元日航のパーサーがやってた喫茶店で、嫁との新婚旅行のスケジュールを組んでもらった事もありました。
他には、いつの間にかカウンターに入って珈琲の淹れ方を修行したりした店もありました。
良い時代でしたね。
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Author:nkgwhiro
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《 11/13 🍁 Tuesday 》
 
🦅ただいま、<Puboo!>にて、『一万年の憂愁』を発信しています。

<時の感覚というのは、実に不思議です。
縄文と弥生の人々が共存して、互いに文化を交流させている姿を思うことも、時には争いに発展することも、私は、想像をするのです。
さらには、世代間の違いにも思いをいたしたり、文化を異にする外国の地で、思いにふけったりもするのです。
人間なんて、人類の歴史から見れば、この世で活動する期間などわずかなものにすぎません。
しかし、そのわずかな時間でさえ、永遠に記録に残すことも可能なのです。
今回の作品はそうした意図を反映した作品なのです。>

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