北戴河の夏

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あまりに暑く、予定を変更することもままあります。
この殺人的気温の中で活動するには、本当に、命の危険があるからです。
家の中で、空調された部屋の中で、ボーッとしているときが一番幸せだと思うのは、しかし、いただけません。
なんだか、外に出れば熱風で肉体の危険が、空調された部屋では精神に危険を感じるのです。
一体、どうしたらいいのか、この夏、結構、悩んでいるのです。



 明治18年の夏のことでした。

 宣教師として来日していたカナダ人アレクサンダー・クロフト・ショーが、友人で東京帝国大学の英語講師ジェイムズ・メイン・ディクソンを誘って、暑い東京からどこか涼しいところはないかと探し出して、軽井沢の地を訪問しました。

 江戸の時代、中仙道の道筋にあった軽井沢宿は、旅するに難儀な碓氷峠を前に、旅人が浅間の山を眺め、体を休める場所でした。参勤交代の行列が通るときなどは、大勢の人でごった返す宿場であったのですが、明治になるととともに、衰退の一途をたどっていったのでした。

 たまたま、知人の紹介で軽井沢を訪れたショーはそこが故郷トロントの気候と良く似ているとえらく気に入り、その後、多くの外国人がここに別荘を建てたのでした。

 私は、高校時代の友人が軽井沢の隣町である御代田出身で、その関係で何度か軽井沢に出かけているんです。

 御代田出身のその友人の父上は、満州開拓団の生き残りの方です。
 長野県からは随分と国策で満州に出かけていったと言います。
 で、そのオヤジさん、満州でてひどい目にあって戻ってきてからは、一家が生きるために東京に出ることも拒み、家族は東京に、自分は御代田でという暮らしをしていたのです。 
 ですから、私にとって、軽井沢は別荘とか、避暑に関係なく、満州の話を聞き、オヤジさんの昔話を聞く、そういった場所であったのです。
 
 その軽井沢によく似た場所が、中国にあります。

 光緒24年、清朝政府は北京に詰める外国人たちの夏の保養地として、当時、すでにイギリス人を中心に夏の避暑地として選ばれていたその漁村を正式に開放したのです。
 その後、裕福な中国人たちも別荘を建て、夏の間の保養地として、この地は栄えたのでした。

 北京から東へ行くこと280キロ、渤海湾に面し、乾いた空気が特徴の大陸性気候と、海に面した涼しげな海洋性気候を併せ持ち、夏の平均気温は25度に達しないこの街こそ「北戴河」でした。
 共産党が中国を平定すると、北戴河の別荘地はすべて没収され、人民向けの療養所となり、また、共産党幹部の保養所となったのです。
 
 日本では、政治は夜動くとも言います。

 それは料亭で卓を囲んで、話し合いがなされ、そこで重要事項が決められたからです。
 明治以来の日本政治の「正統的な」あり方だとも言えます。
 今は、アメリカ大統領を伴って銀座の寿司屋に出かけるとか、あるいは、三つ星のイタリアンレストトランでということになり、築地に今も残る粋な黒塀の料亭もさほど出番はなくなってしまったようです。

 また、軽井沢でゴルフをしながら、政権を担う大物政治家がグリーンの上で、誰も聞いていない中、大きな声で政策の有り様を論じて、それが秋の政局に大きく作用したりしますから、マスコミも望遠レンズを駆使して、その模様を必死にとらえようと努めています。
 日本の政治は、夏の軽井沢のゴルフコースで話し合われて、秋に舵が切られるのです。

 いつだったか、中国の環球時報が、日本の総理大臣がゴルフ中に転んだ連続写真を掲載したことがありますが、あれなども結構な値段で、その写真を買ったんだろうなと思っているのです。
 何しろ、中国ではどの政治家も髪を黒々と染めて、若さを誇っています。白髪が見えたり、背中を丸めたりする政治家は用無しと見なされるからです。
 ですから、総理大臣が足を踏み外し転んだとなれば、それは中国ではビックニュースになるのです。
 
 北戴河も中国共産党にとっては、軽井沢と同じように政局に大きく寄与する街です。

 例えば、人民公社を設立して中国独自の社会主義路線をひくことを決定したのもこの北戴河での会議でした。
 鄧小平が実権を握っていた頃、夏に訪問する外国の要人は皆北戴河に呼び出されました。共産党幹部が皆北戴河で避暑をしているからです。

 でも、人民が暑い中働いているのに、幹部だけいい思いをするのはいかがなものかと、ましてや、リゾート地の北戴河で党の方針を定めるのは納得が行かないと、真っ当な反対意見が出て、夏の北戴河での共産党の会議はなくなったのです。

 それが復活したのは、2012年8月のことでした。

 第18回共産党大会を前に、北戴河で会合が持たれたのです。
 この大会で、習近平が中国共産党中央委員会総書記に選出されました。
 いよいよ、習近平の時代が始まったのです。
 そして、毎年夏、北戴河で共産党の会合が開催されるようになったのです。

 この夏、軽井沢は平穏でした。しかし、北戴河はそうはいかなったようです。

 アメリカの政経軍三方面から仕掛けられている攻撃に習近平が対応しきれていないと批判されていると言うのです。各所に貼られている個人崇拝のポスターも剥がされつつあります。
 鄧小平が打ち出した、じっくりと力を蓄え、時機を待つ『韜光養晦(とうこうようかい)』戦略をかなぐりすてて、習近平は、軍事強国として米国に取って代わる決意を示しました。
 ところが、それが裏目に出て、今や、世界から鼻つまみ者になってしまっているのです。
 さらに、四年後、習近平は69歳になります。
 中国共産党の内規では、68歳が引退の時期となっています。それを破れば、反党行為にもなると、今年の北戴河では喧々囂々の議論があったのではないかと推測しているのです。

 習近平によって、中国は、経済でも軍事でも、そして、政治でも「強国」なのだと自覚した中国人民にとって、仮に、南シナ海に作った基地を放棄すれば、また、尖閣への定期的な嫌がらせをやめれば、あの五四運動のように、あるいは、天安門事件のように、過敏な人民は動くでしょうし、そして、国境にある少数民族は大規模な独立運動を企てるでしょう。
 
 軽井沢と違って、北戴河はまだまだ夏。
 避暑とは言い難い、暑く、露骨な、そして、権力の奪取をはかろうとする黒い策謀がきっと続くのだろうと、こっそりと微笑んでいるんです。





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縄文と弥生の人々が共存して、互いに文化を交流させている姿を思うことも、時には争いに発展することも、私は、想像をするのです。
さらには、世代間の違いにも思いをいたしたり、文化を異にする外国の地で、思いにふけったりもするのです。
人間なんて、人類の歴史から見れば、この世で活動する期間などわずかなものにすぎません。
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