かくありたいものよ

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ランタナが、今夏、2回目の花を咲かせました。
この猛暑の中、鉢花が朽ちる中、よくまぁ、命を繋げて、花を咲かせてくれたものだと手を合わせているのです。



 イソップ童話の、アリとキリギリスの話は誰彼なく一度は耳にしているお話でしょう。

 楽ばかりを求めるものは、きっと痛い目にあうと言うお話です。
 子供心にも、そりゃ、大変だ、ここはぜひ頑張らなくてはいけないと誰もが思ったに違いありません。

 童話ではないのですが、吉田兼好の『徒然草』にも、似通った話があります。

 そんな日本の古典を学ぶくらい大きくなると、アリとキリギリスの話以上に、心につまされる思いが巡って来たのをはっきりと覚えています。

 <若き程は、諸事につけて、身を立て、大きなる道をも成じ、能をもつき、学問をもせんと、行末久しくあらます事ども心にはかけながら、世を長閑に思ひてうち怠りつつ、先づ、さしあたりたる目の前の事にのみまぎれて月日を送れば、ことごと成す事なくして、身は老いぬ。>

 第百八十八段『或者 子を法師になして』の中にある一節です。

 なるほど、確かにその通りだと思うのです。
 若い時分というのは、自分の思うあらゆる物事分野について、身を立て、大きな事業を成し遂げ、あるいは、技能を身につけ、さらには、学問もしようと、人生のずっと先までこうしたいというさまざまな事を心にはかけながらも、人生はのんびりと過ごしたいという気持ちもあって、それらを怠ってしまう、挙句に、さしあたって目の前のことだけに紛れて月日を送ってしまう。それゆえ、何事も成し遂げることはなく、身は老いてしまう。

 そのようなことを言っているのです。

 子供の頃、医者になりたいとか、スポーツ選手になりたいとか、心に夢を確かに育むのが人が持つ心情ではあります。
 ですから、そのために、勉強に励んだり、あるいは、運動に精を出したりし、自分の定めて目標に邁進するのですが、それを行って夢を現実に手にするのはほんの一握りなんです。

 大方は、思いは思いとして持ちながら、たまには休養もいいだろうとか、あいつだってのんびりとしていると楽な方へと自分を導いていくのが人間の行うことなのです。

 挙句に、当初の思いなどすっかりと忘れて、日々の生活を追われてしまい、気がつくと、お前さん、一体何を成し遂げたの?と自問し、答えがないことに愕然とするのです。
 そこには、ただ老いた身があるだけという始末です。

 なんとも痛烈にして、冷酷な言葉ではあります。

 でも、兼好法師の生きた時代にも、現代と同じような思いをいたすことがあったということは、大方の、キリギリスとは言いませんが、その手の人間は時代を経てもいたのだと、そして、人間というのは、さして進歩していないものだなぁ、とも思うのです。
 いや、進歩とか変化ではなくて、それが人間の持つ「さが」であろうかとも得心するのです。

 だったら、ただ老いた身だけがあることを自覚したものたちは、次の世代に夢を繋げていかねばなりません。
 せいぜい、そうすることが罪滅ぼしだと思って、夢を繋げていくのです。

 親というのは、子に辛い目にあわせたくないと思うものです。

 とりわけ、豊かになった社会の親たちはそう思います。
 勉強をしろとせっつくのも、自分がして来ていないのに言えまいと、引っ込み思案になったりします。自分が寸暇を惜しんで何事もして来ていないのに、子に寸暇を惜しんで努めよとは言えまいと躊躇してしまうのです。

 そうであるなら、親から子へと、同じ轍が踏まれる公算は大になります。
 だったら、親たるものは、心を鬼にして、自分のことはさておき、子には、励め励めと尻を叩かなくてはなりません。

 兼好法師は、その一つの方法として、同じ段でこう述べています。

 『むねとあらまほしからん事の中に、いづれかまさるとよく思ひくらべて、第一の事を案じ定めて、その外は思ひ捨てて、一事をはげむべし。』
 
 特に望ましいと思うことの中に、どれが勝っているかよく思い比べて、第一のことを心に決めて、その外は気持ちを捨てて、その一つの事だけを励むべきであるというのです。
 あれもこれもというのではなく、あれもこれもの中から、一つを選ばせ、それに集中させよというのです。

 今、十代で活躍するスポーツ選手たちを見れば、彼ら彼女たちが、やっと歩いたその頃から、そのスポーツに取り組んで来ていることを、私たちは知ります。
 まさに、一つことをのみ心において、そのほかのことは打ち捨てて、その結果、一端の成果をあげる選手になっていることを目の当たりにするのです。

 『いずかたをも捨てじと心に執り持ちては、一事も成るべからず。』

 兼好法師はこの段の最後にこう述べています。
 どうやら、そこにこそ、親の反省の上にたった教育の真髄があるのではないかと思うのです。

 親こそ、自信を持って、我が身のして来たことは捨て置いて、子が一端の人間になるべく、心を鬼にして、子を仕向けていく存在であるのではないか。

 だからといって、子を虐待していいというのではありません。
 子は、いつの時代でも、自らのうちに、優れた指針を待っているのです。
 その指針にこそ、親がするべきであると思っているのです。

 我が身を省みて、そう思っているのです。反省!





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また立ち寄らせてもらいます

おはようございます

コメントありがとうございます
何かを創り出すという作業は高潔なものです
倦まず飽きず
書き続けることが肝要だと
私思っています

これからもよろしくお願いします

つくばの街 いいでしょう
私も水戸から東京に帰る途中
この街に紛れ込んで
この街に住み着いたんです

初めまして。

訪問頂きありがとうございます。

つくば学園都市には二か月ほど前、車で通りました。
年に数回取る場所で街並みが素敵です。
なにより空気が違いますね。
自然と人が気兼ねなく共存できる街という印象を受けます。

羨ましいです(*'▽')

お時間のある際にまたお立ち寄り頂ければ嬉しいです。
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《 9/23 🎂 Sunday 》
 
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<15.304字 400字詰原稿用紙38枚                            夏は、物語するにもっとも良い季節です。
開け放たれた扉の向こうから、異人たちも遊びにきてくれます。出かけた先でも、異人たちは向こうからやってきてくれます。
そんな異人たちとの出会いを綴った「nkgwhiro短編作品集」です。>

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