卯酒(ぼうしゅ)の味わい

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江戸情緒たっぷりの浮世絵に、朝日が作る影が差し込んでいました。
庭の枝が作る影は幾分の涼しげさを伝えてあまりあるものがありますが、同時に、昼間の地獄のような暑さも予感させるのです。
そんな季節の中、今朝は幾分涼しく、うっかりと寝坊をしてしまったのです。
あと、もういくつ、寝ると、秋の心地よい日がやって来ることを思い、日々を過ごしているのです。



 大学に通っていたときのことでした。
 クラスメイトの女子学生を、同級生達で泣かしてしまったことがあります。

 いや、えげつないことをしたと言うわけではないのです。
 ラウンジで友人たちとどう言うわけか朝ごはんの話をしていたときでした。
 たわいもない話です。
 その場を持たそうと誰かがそんな話を言い出したのだと思います。まだ、知り合ってわずかばかり、それも日本全国あちらこちらからやってきているのですから、話を持たせるには、なんでもいいのです。そんなわけで朝ごはんの話題になったのです。

 一人のあどけない顔の少女が、自分のところではステーキだとか、カレーを食べると言ったのです。

 すると、周りにいた口の悪い連中が、朝からステーキは食えまいとか、いまは朝カレーが流行っているようですが、当時は、朝にカレーはご法度ってな具合ですから、その少女の言葉に一同大いに反応し、やんやとチャチャを入れたのでした。

 悪気はもちろんないのです。その子が可愛いかったからかもしれませんが、友人たちは気を引こうとしたのです。それゆえ、あまりの批判的反応に、この少女、メソメソと泣き始めてしまったのです。
 もちろん、場は気まずくなったことはいうまでもありません。

 よく話を聞くと、その少女の家は恵比寿でレストランをやっていて、お父さんはその店のオーナーシェフであるというのです。
 そのため、前日に残った肉やカレー、その他、普段私たちが朝方に食さないものを、彼女は食べていたというだけの話なのです。
 当時、味噌汁に納豆、それに贅沢な朝ごはんとしては卵焼き、そんな時代に、朝からステーキを食べる理由がわかれば、なんということはありません。

 いろいろなところから集ってきた若者たちが、そういう生活もあるんだと、それは一件落着したというわけです。

 先だって、酒好きの御仁と、その朝の食べ物ではないのですが、ちょっとした味わいのあるものを食することについて言葉を交わすことがありました。

 この方、卓球の「自称」コーチなのです。
 学生時代は卓球部に所属し、長じて教師になったとき、今度は卓球部の監督をやっていたというだけなのですが、それでも、昔取った杵柄というやつで、腕前はなかなかのもので、誰もが一目置くという方であるのです。
 そのため、困ったことがあれば、いつでも、コーチの私に尋ねなさい、なんでも丁寧に、わかりやすく教えますよと言うので、皆が「自称コーチ」と呼びかけるようになったのです。

 その方、しばらく、卓球の練習に顔を見せなかったのものですから、そのことを休憩の折に尋ねましたら、奥さんの「介護」をしているというのです。
 奥さん家の中で転んで、足を骨折して、動けなくなったというのです。

 洗濯から食事、掃除まで、一日中家事に追われていると、実に明るく言うのです。

 散々、やってもらっていたから、こういうとき、恩返しをしなくてはとも言っていました。
 私、偉いなって思ったんです。
 そして、朝の家事がひと段落すると、これをやるって言うです。

 右手の親指と人差し指で「マル」を作り、それをちょっと傾けて、口に運ぶのです。
 
 「ぼうしゅ」っていうやつ、とそう言うのです。
 指の動作は酒を一杯やるということを示していましたが、「ぼうしゅ」という言葉は初耳です。この方、私と同じく国語の教師だったんです。
 
 「仏法にはダイゴを讃し 仙方にはコウカイを誇る 未だ如かず 卯時の酒神 速にして功力の倍する」って漢詩があるでしょうって言うんです。
 ダイゴもコウカイもさっぱりです。

 くだんの自称コーチ、ここで、教師になります。

 仏様は醍醐天皇のダイゴ、つまり、ヨーグルトのような乳製品ってとこかな、仙人たちは、沆瀣、(体育館の床に指で書きますが一向にわかりません、ですから、これを書くときにちょっと調べたのです、そしたらこんな……)難しい字だ、朝露のことだよ、つまり、甘露だな、それをありがたく思う。
 しかし、明け方の朝酒の、速やかに五臓六腑に染み渡り、酔いがすべてを忘れさせてくれることを知らない、なんてことをいうのです。
 彼が言うには、白楽天の作だと言います。
 
 卯飲一杯 眠りより一たび覚むれば
 世間何事か悠々たらざらん
 
 体育館の片隅、大型の扇風機がブンブン唸りを上げるそばで、彼、白楽天の詩の一節を唸ったのです。

 早朝、一杯の酒を飲んで、二度寝し、そこから覚めれば、この世のなんとせせこましいことか、一つもゆったりとしていないではないか、なんて解説もつけてくれます。

 そして、妻の介護と家のことをやって、ひと段落をし、妻のための昼食を作る前、一杯の酒を、妻に内緒にして、台所でやるそうです。
 白楽天とて、同じような気持ちで一杯の朝酒をいただいていたと思うと彼言います。
 なんだか、この人、素晴らしい人だと思ったのです。

 今日は卓球の練習に来られたと言うことは、奥さん随分とよくなったのですねと言いますと、いや、そうではないと顔を曇らせます。
 入院をしていると言うのです。
 今日は午後は病院で付き添わなくてはいけないと。
 随分と悪いんだとも。
 
 早く奥さんが良くなって、奥さんの面倒を見つつ、「ぼうしゅ」をこっそりと楽しめればいいと思ったのでした。
 明るく振る舞うその姿に、私はこれからは「自称」をとって、「コーチ」と呼ぼうと思ったのでした。





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