ありがたしはありがたいことではない

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台風21号の威力は凄まじかったです。
今朝はまんじりともせずに起き、仕事に取り掛かっています。
今は雨と雷が、はてさて、この気象のありようはいかがなもんでしょうか。
皆様のご無事をお祈りいたしております。



 平安時代の言葉と現代の言葉では、同じ発音の言葉でも意味が大きく異なるものがあります。
 
 例えば、「あはれ」という言葉は、現代では「哀れ」が主たる意味ですが、平安の時代では、「悲哀」よりも「情緒」の方に重きがおかれていました。

 『源氏物語』を<もののあはれの文学>と呼ぶのは、作者紫式部が「もののあはれ」という言葉を多用して、その情感を綴っていたからです。

 折に触れて、目に見える有り様、耳にする鐘の音、虫の音、衣擦れの音、これすべてにしみじみとした情緒を見出すのです。
 思えば、この時代の女性ほど切ない存在はありません。
 妻問婚で、夫はいつ来てくれるのかもわからず、一人美しき月を見てはもの思いに耽るのです。
 だからこそ、この時代、女性の心は揺さぶられ、そのエネルギーが文学として沸々と綴られることになったのです。

 世界のどこを探しても、この一千年も前の時代に、女性が悩み、それゆえ、感情を文学で表現し得た国はありません。
 シェークスピアが、観客の心情を揺るがすような文章を生み出す、ずっと以前に、紫と自らを名乗る女性は、そこはかとない心情を見事に綴りあげていたのです。

 一千年前の女性たちが綴った作品は、きっと、日本人の感性を磨き上げ、感情の拠り所を明確して来たに違いないと思っているのです。日本女性が、世界のあらゆる分野で、一目置かれるのも、この時代の女性たちの感性とそれを綴った作品があればこそだと思っているのです。

 日本女性の芯の強さ、男など足下にも及ばない積極的な行動力もまた、そこに起因すると思っているのです。

 「おとなしい」という言葉があります。
 落ち着きがあって、穏やかであるという意味で、現代の私たちはその言葉を用いています。時には、「おとなしすぎる」と積極性のなさを叱る言葉としても用いています。
 これも、一千年前は違ったニュアンスの言葉として、私たちの先祖は使っていました。

 すなわち、「大人し」としてです。

 <年のほどよりはいとおとなしく>と紫がその日記に綴っているのを見れば、それは「お年のわりにはずっと大人っぽくて」となります。
 <いとおとなしうよろづを思ひしづめ>と紫が源氏の物語で、夕霧を評価すれば、それは「とても思慮深く何事も落ち着いていて」という意味になるのです。

 先だって、18歳の女子体操選手が体操協会を牛耳る二人を厳しく批判しました。
 それに対して、批判されたかつての金メダリストで協会の役員の方が、嘘ばかりだと歩きながら批判をしている場面をテレビで見ました。
 
 これを見て、「大人し」、つまり、「思慮深い」とされるのは、18歳のこの少女であって、栄光を身にまとい、権力の柄を手にしたかつての金メダリストではないと思ったりもしたのです。

 かような批判が出た時、世間はどう思っているのか、どちらに重きを置いているのか、それを見極めてこそ、「大人し」き人のなすべきことであるとも思うのです。
 それがまったくできなかったということです。

 平安の女性が持っていた「大人し」の感情をすっかりとなくしてしまっているのです。
 そして、つまらぬ名誉と恫喝、そして、嘘でしか、己を表現できない下等な部類に自らを貶めてしまっているのです。

 「ありがたし」という言葉も、興味深いものがあります。
 
 現代では、もったいないとか、感謝を示す言葉でありますが、平安の時代では、「有り難し」で、<あることが難しい>、つまり、「稀である」「尊いことである」という意味で用いられていました。
 
 体操協会の糾弾されたあの人たちからすれば、まさにあの18歳の少女は、字のごとく「有り難き」存在であったことでしょう。
 それまで、多くの選手が、こちらの意向を汲み取って、いや、汲み取らされて甘んじて来たのに対して、それに反旗を翻したのですから。

 自分たちが世話してやっているのに、感謝の一つもなく、後ろ足で砂をかける女だと思ったに違いありません。
 だから、全部ウソだとニコニコしながら言えたのです。
 
 でも、その有難き、勇気ある訴えを、きっちりと受け止めないと、日本のスポーツ界は奈落のそこに落とされることは間違いありません。 
 体操においては、アメリカンフットボールやボクシングのようにズルズルと底なし沼に足を突っ込むことのないよう期待をしているのです。
 
 理性のある有能な人士が、体操の世界にはいるのですから。



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《 11/13 🍁 Tuesday 》
 
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<時の感覚というのは、実に不思議です。
縄文と弥生の人々が共存して、互いに文化を交流させている姿を思うことも、時には争いに発展することも、私は、想像をするのです。
さらには、世代間の違いにも思いをいたしたり、文化を異にする外国の地で、思いにふけったりもするのです。
人間なんて、人類の歴史から見れば、この世で活動する期間などわずかなものにすぎません。
しかし、そのわずかな時間でさえ、永遠に記録に残すことも可能なのです。
今回の作品はそうした意図を反映した作品なのです。>

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