我は風なり

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刈り取り前の稲穂、黄金色に染まったその稲穂に、嵐の風が襲いかかります。
こうべを垂れる稲穂が、あっちを向いたり、こっちを向いたり、まるで、どうしたらいいかわからない風情。
みのるほどこうべを垂れよというけれど、これだけの風に吹かれては、垂れようにも垂れることはできないと、いやいやをする子のように、稲穂はわがままたっぷりに揺れる、そんな姿なのです。



 気象学でいう「風」を語ろうというのではないのです。
 私たち人間の心の中に流れる「風」について、ひとつ思うことがあるのです。

 私たちは、会議の席で、往往にして「空気」なるものを読んでしまいがちです。
 私の経験からも、上司の思いを忖度して、発言をしたということが、少なからずあったのではないかと、今となってその疑念に心を寄せるのです。
 自分の思うことではなく、上司の思惑を推測して、それになびく発言をすることで、なんらかの得をしたいという魂胆が働いていたのではないかと言う、そんな思いです。

 でも、常にそうだったとは言えない、そうとも思うのです。

 そうではなく、自分の考えが、単純に、上司のそれと同じにすぎなかっただけだと。
 今となっては、自分を卑下する必要もないし、意地を張って、自己弁護する必要もないのですが、そんなことを思うのです。

 でも、家で仕事をするようになって、私の中に確かに一陣の風が吹いていることに気がつくのです。それは、時に、おぼつかない、頼りない風であり、時に、何者にも同調しない偏屈な風であるのです。

 それは、なんといったらいいか、何か他の大きな風に、自分の中を吹く風をなじまそうという、そんな風であり、同時に、その大きな風に仁王立になって一人抗する風であるのです。

 あの選挙の時のことを思い出します。
 自分の中に吹く、いつもの穏やかな風が、時に、選挙の最中に吹き荒れる風に同調してしまうのです。
 例えば、小泉父のあの時の選挙の風です。
 彼の行くところ、人だかりです。熱狂です。語られる乱暴な言葉に、風はまるで台風のように渦を巻いて、勢力を拡大していったのです。
 その風に、私の心のささやかな風が同調していった記憶があるのです。

 体制をぶっ壊すって、不敵な笑みを浮かべて小泉父は言います。
 なんて素敵な言葉なんだと。

 政治には、いつも乱暴な言葉が必要です。
 小泉父は自分の党をぶっ潰せと息巻きました。
 そんなことをしたら、日本はどうなるんだと言う穏やかな風はかき消され、そうだ、そうだと同調する風が、私の中で勢いを増していったのです。

 そういえば、かつて、毛沢東の中国も、人民の心に流れる風を同調させるのに巧みでした。

 「造反有理 革命無罪」

 この言葉に、中国の青少年は舞い上がりました。
 いや、中国の青年ばかりではありません。日本の、フランスの、アメリカの青年までもが舞い上がったのです。私もその一人でした。

 それは、毛沢東の思いをはるかに超えて、青少年の純粋な心の中に、すざまじい風を吹かせたのです。でも、その風は、いつしか急速に勢いを落としていったのです。
 そういえば、小泉父の風も、確かにすっと引いていったことに気がつきます。

 私たちは、いっときの風に吹かされて、浮かされて、そして、その中にいるおのれに浅はかさに気づき、さっと気持ちが引いて行くことがあります。

 あのときもそうでした。
 この世をば我が世の勢いで大路を闊歩していたあの女性が「排除」と言うたった一言で、吹きまくっていた風は、急速にしぼんでいってしまったのです。

 平成21年の第45回衆議院選挙でも、風が吹きました。
 自民党が議席を大幅に減らして119議席、民主党が308議席と大逆転をしたのです。
 ところが、この風も永遠に吹き続けることはありませんでした。
 
 権力を手にした大臣の横暴さは国民の気持ちを逆なでしました。
 若い鍛錬もされていない政治家が、官僚を呼んで、仕切る様にも、何かいじめのような様相を感じて、最初感じた爽快感が何かジメジメした気持ち悪さに変容していったのです。
 あの大災害時に慌てふためく日本のリーダーの姿に、国民の心に吹く風は、一気に離れていったのです。

 風というのはそもそも気ままなものです。

 だから、権力者はそれを利用しようとします。
 私たちの心に忍び込んできて、風を起こそうとするのです。
 ヒトラーも、毛沢東も、小泉父も、いや、もしかしたら、マスコミがそれを意図してやっているのかもしれないと思う時があるのです。
 
 だったら、世界の風がちょっと右に傾けば、我が心のうちの風は左に、反対に、左に傾けば、わが心のうちの風は右に、あえて、吹こうと思っているのです。
 
 我が心に吹く風は、いつも自由であって、何からも影響を受けないように、そよそよと流れていくことを最上の風とするからです。



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「風」に吹かれて

コメントありがとうございます。
私もいつも拝見させてもらっています。
勉強はいつになっても大切です。
いや、むしろ、歳を経るにつれて、大切だと思っています。
今後もよろしくお願いします。

風に吹かれて

何時も明快なので、いつも楽しく拝見、勉強させていただいております。
あまり深く考えない私が「まったく同感!」などと言っては失礼になりますが「我が意を得たり」です。
今日も、一喜一憂せず、風通しを良くし、さわやかな風にあたろう、とそんな気分にさせていただきました。
感謝です。
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nkgwhiro

Author:nkgwhiro
ご訪問
ありがとうございます。

《 11/13 🍁 Tuesday 》
 
🦅ただいま、<Puboo!>にて、『一万年の憂愁』を発信しています。

<時の感覚というのは、実に不思議です。
縄文と弥生の人々が共存して、互いに文化を交流させている姿を思うことも、時には争いに発展することも、私は、想像をするのです。
さらには、世代間の違いにも思いをいたしたり、文化を異にする外国の地で、思いにふけったりもするのです。
人間なんて、人類の歴史から見れば、この世で活動する期間などわずかなものにすぎません。
しかし、そのわずかな時間でさえ、永遠に記録に残すことも可能なのです。
今回の作品はそうした意図を反映した作品なのです。>

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