心に宿した花火

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秋の木漏れ日。
夏の日の、あのオアシスのような森の中の木漏れ日とちがって、秋の日の木漏れ日には、どこか一抹の寂しさがあります。
それは、これから弱々しくなっていく太陽の光がそうさせているんだと思うのです。
毎朝、気温は一度づつ下がっています。
力が落ちていくのです。
秋から冬へ、人の老いるのと同じに、力は萎えていく。
また、次の春が来るまで。



 先日、土浦の花火を見に出かけました。

 土浦の学校にいた時も、知り合いの方から、一緒にどうですかと誘われたことがあるのですが、そうした行事の際には、地域の方々と見回りをしなくてはいけないので、ついぞ、お誘いを受けることはなかったのです。

 それでも、一度、娘たちが小さい頃、混雑する街中は避けて、筑波山の裾野の、霞ヶ浦を望める高台でそれを見たことがありました。
 しかし、光の輪は見えるものの、音が聞こえず、加えて、山であるので寒いときていますから、娘たちには不評で、もう行きたくないと言われてしまった記憶があります。

 その娘の一人で、オーストラリアからやってきているのが、友人の手づるで、桟敷の席を、それも、ほぼ中央の、加えて、隣が空いているというひとマスのチケットを手に入れたのです。
 GOKUやLALAに、日本の花火を見せたいという気持ちからです。

 この子たちが暮らすゴールド・コーストは観光地で、これから夏に向けて、毎週末にあちらこちらのビーチで花火が打ち上げられ、彼らの家の玄関先の道端からでも、それを眺めることができるのです。

 特に、GOKUは花火が好きで、音がすると、連れていけとまだ歩くこともできない頃から私に催促をするくらいでした。
 ですから、土浦の花火を見て、腹に響く爆発音にビクッと体を震わし、大空に開く火の光に目を皿のようにして見ていました。

 LALAはと言えば、母親に耳を塞がれ、その膝の上に仰向けになって、じっと色とりどりの火の花を見ていました。きっと、この子も、兄同様、花火が好きに違いないと思ったのです。
 ゴールド・コーストに帰れば、きっと、週末には、ビーチに行きたいと言って親たちを困らせることは間違いありません。

 残念ながら、強風のため、花火大会は全行程三分の一あたりで中止になってしまいました。
 そのため、圧倒的な人波の中を20キロを超えるまでに成長したGOKUを抱っこして、大汗をかいて、家路に着いたのでした。

 二人の幼な子は、もうぐったり、母親が暖かいタオルでそっと体を拭いてやり、そのまま寝付きましたが、私たちは、一杯ビールでも飲んで休もうと二階のバルコニーに陣取ったのです。
 会場では、さほど、強くもないと感じた風でしたが、ここへきて、強い風がバルコニーに吹き付けてきました。
 こりゃ、いかんと、鉢をおろし、一旦並べた酒の肴もキッチンに戻したのでした。
 
 大汗をかいて、人ごみに揉まれ、大人でも疲れているのだから、人口の少ないオーストラリアで暮らすGOKUにとっては、その晩の体験はきっと未来永劫、その記憶に残るだろうし、LALAにとっては、日本の花火は美しいものであり、それを見るために、日本人はとてつもない苦労をするんだと幼な心に刻んだのではないかと思っているのです。

 実は、私も、幼な心に、心に刻み込んだ花火を心の中に宿しているのです。

 母のいとこが、長崎で牛乳店をやっていて、その息子が東京に出てきて、ふうてんのようなことをしていて、母が時折面倒を見ていたようなのです。
 まだ、小さかった私は、その辺のことは詳しくないのですが、その母の貢献にえらく感謝して、私たち一家は、暑い夏の日の数日を長崎で過ごす機会を得たのです。

 その家は、港を見下ろす高台にあり、茶の間から花火が真正面に見える位置にありました。
 花火など、その目で見たことのない私は、その爆発音と大輪のごとく開く光の輪の饗宴にとても感動したのを覚えているのです。

 長崎の人は幸せな人たちだと、私、幼な心にも思ったことを、また覚えています。
 
 しかし、その花火には、鎮魂の意味があることを、大きくなって知ることになりますし、そのおばさんやおじさんが原爆手帳を持っていることも知るのです。
 街全体が人為による災害を受けて、そのために亡くなった方を慰霊するそんな思いを叔母たちは心に宿して、あの切ない、しかし、華やかな花火の刹那的な美しさを愛でていたのです。

 そんな思いが私にはありましたので、きっと、GOKUやLALAも、大人になって、土浦の花火にも、国のために散った兵士を鎮魂するのが始まりだなんて話を知って、感慨を得るに違いないと、そして、突然の中止にも、石を投げるわけでもなく、罵声を浴びせるわけでもなく、警察官の誘導に従い、黙々と家路につく日本人の姿を思い出すに違いないと、私そう思ったのです。
 
 来年か再来年、私がゴールド・コーストに行った時、ビーチで花火を見た際に、GOKUとLALAに、土浦の花火のことを思い出させ、そんな話をそっとしようと思っているのです。

 あの日の風の強い日の、途中で中止になり、ものすごい人波の中を歩いて、しかし、スターマインの連発する花火に手を合わせて感動したあの花火を「心に宿した花火」にしてほしいと、願いを込めて。



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本当に残念でした

コメントありがとうございます
花火は、鉄砲を撃つことがなくなった平和の時代。
火薬師たちが、なんとか生きる算段を立てようと考案したものだということを聞きました。
単に、生活のため、ではなく、それを芸術の域にまで高めるのですから、立派です。
その花火、とても金がかかります。
ですから、色々と算段をして、お金持ちから寄付を募り、そして、多くの人に感動を与える。
そんな仕組みを思うと、つまらなくなくなりますが、「鎮魂」であることは、大いに納得がいきます。
これからもよろしくお願いします。

No title

突然のコメント失礼します。
土浦の花火大会に行かれていたのですね。
大変な事故を起こしてしまった土浦ですが、鎮魂の意味を込めて花火であるということにすごく興味を惹かれました。
思えば、隅田川花火大会も江戸ではやったコレラの死者を慰めるためのものでありましたね。
花火、というと、一瞬で咲いて散るため、時に人生に例えられることもありますが、その始まりを知っていると、その華やかさの裏にあるなんとも表現しがたい思いがこみ上げてきます。
それがより花火を美しく見せてくれるのかもしれません。
今回の土浦は実に、実に残念でありました。
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《 10/ 21 🦗 Sunday 》
 
🦅ただいま、<Puboo!>にて、『懐かしき哉あの夏の日』を発信しています。有料作品ですが、一部、試し読みができます。ぜひ、お読みください。

<400字詰原稿用紙29枚 年齢を経るに従い、昔を懐かしむのだと言います。
「懐かしのフォークソング集」などという番組に、反応している自分を発見すると、確かに年齢を経ると昔を懐かしむものだと納得するのです。とりわけ、夏という季節は、日本人に過去のふりかえさせる雰囲気に満ちた頃合であります。
8月15日があり、お盆があり、日本人は戦争体験の有無に限らず、自分のちょっとした過去を振り返り、歴史に思いをいたすのです。>

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