品のある良い文化を背負って

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6月ごろでしたか、大輪の青紫の花を咲かせたテッセンですが、今は、こんな姿になっています。これはこれでとても美しいと思います。花の盛りを過ぎても、宇宙の広大さを見せるかのようなありように、かくありたしと思うのです。



 フタズミカイの岡田さんから電話があったと告げられました。
 はて、<フタズミカイ>と、私の頭の中で、幾分翳りを見せ始めたニューロンが活発に動き回ります。

 私が生まれた竹ノ塚の、暮らしていた家のあったところ、あそこの正式名称は、竹ノ塚第二住宅と言ったのです。
 そこに暮らす私の親たちは、第二住宅をもじって、<フタズミカイ>と名乗り、自治会を作っていたのです。
 漢字にすれば、「二住会」です。

 第二住宅内のどぶ掃除、嫌になるほど生まれて来ていた子供たちのための活動、住民一同で第二住宅にあった小さな公園でのささやかな芋煮会、そんなこともやっていたのが<フタズミカイ>だったのです。

 水道がなかった頃は、第二住宅に一つしかなかった手押し井戸ポンプのある洗濯場に集まっては、母親たちがおしゃべりをしていました。
 もちろん、小さかった私たちは、井戸の脇にある道とも広場ともつかない場所で遊んでいました。車など滅多に走って来ることもなく、よって、交通事故を心配することなどもありません。

 隣の武内さんの家とは家族ぐるみの付き合いでした。
 夕飯のおかずの一品は武内さんのところのものです。もちろん、母が作った一品も武内さんのところに行きます。
 武内さんのところのえっちゃんが我が家に泊まりに来るなど日常茶飯事です。

 私のおぼつかないニューロンは、次第に、あの昭和の、まだ、戦後の貧しい、しかし、暖かい平和な生活があった頃に、私を連れていってくれました。

 私は、喪中のはがきをかつての<フタズミカイ>の方々に送っていたのです。

 今はそれぞれバラバラになって暮らしている、父や母の旧友たちと、私の幼馴染たちに、形式的な文面のそれを送っていたのです。
 そんなこともすっかり忘れていたのですが、岡田さんは知らせを受けて、電話をしてくれたのです。
 ありがたいことです。これが「人情」というやつです。
 きっと、あの方達の事ですから、一枚のありきたりのはがきを手にして、母の死をしみじみと追想してくれたに違いありません。

 私のニューロンは、私が要請もしないのに、いくつかの印象的な思い出を提供してくれます。

 こんなことも思い出されました。
 醤油がなくなれば、買いに行くより先に、お勝手に武内さんのおばさんが浅漬けを手に、醤油少し貸してとやって来たこと、ガラス工場で働く岡田さんの旦那さんが、工場で怪我をして、仕事を休んでいた時には、せっかくだからと(何がせっかくだかわかりませんが)、岡田さんちに父親たちが寄り合い大酒を飲んで大騒ぎをしたこと、そんなこともあったなと私は懐かしむのです。

 貧しいながらも、人の血の通った人間関係、戦争の名残か、父親たちは一様に、お上には楯突いていました。
 しかし、仲間内の悪口は、口が腐っても言わないという、そんな人たちでした。

 程なく、時代が変貌をして行きます。

 抗いようのない時代の変貌です。
 子供達が大きくなって、住む家が狭くなって行きます。
 父親たちもそれなりに収入を増やし、皆が皆、郊外に家を建て、あるいは、田舎に親の面倒を見ると言って帰郷し、<フタズミカイ>からぬけていったのです。

 それは、我が家も同じでした。
 あの井戸端でののんびりとした時間、親父たちが隣同士で酒を飲み交わす、そんな時代が終わりを告げたのです。

 あれから数十年が経過し、私はあのような時代がまた戻って来ているのではないかと、実は、思っているのです。

 いただきものがあれば、隣近所に少しであってもそれを持って行く、「おすすわけ」という文化です。
 先に述べた醤油の貸し借り、そして、頼母子講などということも母親はしていました。入り用のある人に皆がお金を無利子で貸すのです。
 あくまで、それは文化として、貧しき中の皆の工夫でありました。

 今は、文化としてではなく、ビジネスとして、それらが形を変えてなされているのではないかということを私は思っているのです。

 例えば、車を持つことに今の若者は興味をあまり示さないようです。
 それより、一台の車をシェアする方が有益だと考えているのです。
 それは自宅の使っていない駐車場を貸すということ、あるいは駐車場ばかりではなく部屋、あるいは家そのものというふうに拡大をして行っているのです。

 車や家ばかりではありません。
 家事や育児といった技術を要するもの、観光案内など空いている時間を活用するものも、シェアの対象として広がっているのです。
 なんでも、これらの経済効果は、2兆円を超えるものになるといいます。
 
 明らかに資本主義が変化をしているということがわかります。

 資本主義の第一原則ともいうべき、「私有」の観念が大きく揺らぎ始めて来たのです。
 大量消費をモットーとする資本主義社会は、人の心にある所有欲でもって消費を喚起し続け、社会を大きくして来たはずです。
 ところが、ものを私有せず、それをシェアするという経済は、資本主義の原則とは異なるものなのです。
 そこには環境を悪化させた私有による大量の消費と廃棄に対する反省、そして、私有を求めるあまりに勃発した競争がもたらす貧富の格差があったからだと私は思っているのです。

 若者たちは、それに気づいたのです。
 誰しも、頑張れるとは限らないことに彼らは気づいたのです。

 いや、気づかなくとも、AIの導入により、頑張れる人間にも影響が出て来ることが現実になって来たことに対する危機感が働いているとも言えます。

 もっと、人間らしく、人間を基本に据え、優しい社会を作ろうと、若者たちが思い始め、それが資本主義をきっといい方に変えていくのだとも思うのです。

 もしかしたら、社会主義でもなく、資本主義でもなく、新しい社会を規定する主義がそこに生まれて来ているのかもしれません。
 だとしたら、それは素晴らしいことです。

 人間が、一つの時代をクリアし、新しい時代を踏み出そうとしているのですから、何よりも歴史的な出来事です。
 でも、それが資本主義社会の縮小、敗亡であるならば、おおごとです。

 どこかで、大国だと強面に言っている国がありますが、その経済圏に組み込まれ、社会主義を強制されるのは真っ平御免ですからね。




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《11/18 Saturday》

‼️昨日、<Puboo!><Facebook>にて、新しい作品を公開しました。‼️

❣️<Puboo!>にて、『我は切望す、我が真意のありようを受け止めんことを』を発信しました。

❣️<Facebook>で、『Park in the Gold Coast School is a holiday in the end of a term today. We can see the children who are led by a teacher and carry on the outside of the school activity. Surprisingly, they'll be enthusiastic teachers. There are children who play at a park of course, too. Even though facilities in a wonderful park.
黄金海岸的公园 学校,是今天,学期末的假日。我们能看活动校外的孩子们被老师率领。她们,如何热情老师们吧。当然,玩公园的孩子们也在。即使那样,是极好的公园的设施。』と題する動画を公開しました。

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