ニューヨーク、ニューヨーク

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朝、鳥たちが寝床から飛び立ち、仲間が集まって、何やら会話をしては、一斉に飛び立ちます。鳥たちは腹をすかし、めぼしいえさを見つけてはついばむのです。鳥たちが、最も活気ある時間帯です。


 私はヤンキースファンなのです。

 松井秀喜選手が、ヤンキースタジアムで、55番を背負う前から、実力を伴う有名選手が集められ、常に勝つことを義務付けられたチームに敬意を払い、憧れを持って、見ていたのです。

 ボストンに一ヶ月ばかり滞在していた時、阪神タイガースファンのように熱狂的なボストンレッドソックスファンと食事をしたことがあります。
 当時、ボストンには松坂選手が活躍をし、ニューヨークでは松井選手が活躍をしていました。
 そのレッドソックスファンの女性は、試合のある時、球場には入らず、フェンウエイパークのそばにあるスポーツバーで、同じく熱狂的なボストンファンと大騒ぎをしながら、試合を観戦をすると言います。
 その方が、「暴れる」ことができるからだと言うのです。

 ヘリのパイロットであった夫と離婚し、子供も大きくなり、自由な生活を謳歌するアメリカンです。
 その筋金入りのファンの前で、「私はヤンキースファンだ」というのは極めて危険なことでありましたが、運よく、松坂大輔を育てた指導者の一人で、甲子園でヒットを一本打った子を私が教育したことを伝え、「命拾い」をしたわけです。

 ボストンばかりではなく、ニューヨークの人々も血気盛んではあります。

 ニューヨークは、いろいろな国から人が集まってきていますから、何か、ひとつ、皆がそれを中心にして集まれるものが、他のアメリカの都市以上に、必要であったのです。
 ニューヨークの街は、意図しない形で、人が住む区域が定まっています。
 例えば、黒人が多く暮らす地域に、黒人以外の人が不用意に入ることは好ましくはなかった時代もあるのです。
 それは、他の人種の街であっても同様です。

 ですから、人々は、ニューヨークという街は、人種のるつぼではなく、サラダボールであると言ったのです。

 るつぼは、異なった金属を溶かして混ぜ合わせることができますが、サラダボールは、レタスやトマト、きゅうりが、そこに入れられた素材ひとつひとつがその個性を維持する場所です。
 つまり、ニューヨーカーたちは、俺たちは交わらないぜ、それぞれが自分たちの個性を出せばいいだけよと、でも、それが今、ニューヨークの魅力となっているのです。

 そうしたニューヨーカーたちを一つにまとめ上げる役目を、ヤンキースはやっていたのだと思っているのです。
 それはベーブルースの時代から脈々と受け継がれてきている事実であるとも思っているのです。

 背番号55がアメリカに渡り、ヤンキースタジアムでの最初の試合で、満塁本塁打を打てば、一挙に、ニューヨーカーたちは、松井選手を何十年来の選手であるかのように扱ってはばからないのです。
 意図しないまでも、それぞれが暮らす場所が定まっている街の住人が、ヤンキースタジアムでは人種も、国も関係がなくなるのです。
 でも、緩慢で、ダメなプレーがあれば、ブーイングは選手を萎縮させるほどの力を持って迫っていくのです。
 それもこれも、ヤンキースがニューヨーク市民の軸になっているからこそであると思うのです。

 先だって、ニューヨーク市長報道官なる人物のツイッターが、大変なブーイングをニューヨーカーから浴びました。

 ニューヨークの、あのイタリアからの移民が作り出した薄い生地の、チーズがたっぷりのったピッザを差し置いて、シカゴの厚い生地のピザを、全米一のピザだと、ニューヨークピッザを差し置いて、他の追従を許さないとツイートしたからです。

 これに対して、シカゴの市長さんが「誰もが知っていることを認めただけ」と応じたのだから、さぁ、大変です。

 これが火に油を注ぐ形で、ニューヨーカーたちを怒らせたというのです。
 ピザくらいで、大げさなことをと思いますが、彼らにとっては、許しがたいツイートであったのです。

 東京であれば、あれもこれも、珍しいものが食べられることは素晴らしいということで、今日はぶ厚い生地のシカゴピザをフォークとナイフで優雅に食べるだろうし、祭りの会場であの薄いチーズのたっぷりとのったピッザを歩き喰いするのも楽しみにすると思いますが、ニューヨーカーにとっては、そうもいかないのです。
 それは自分たちが誇りに思う街の食べ物であるからで、それを事もあろうに市の人間が、裏切り行為を働くことに怒り心頭に達するのです。
 アメリカらしい、面白い、そして、楽しい争いではあります。

 大学生の頃、中国語を勉強している時でした。
 中国の風俗や文化がわからないと小説も文化記事も読めないことに気がつき、その辺りの雑学的な記載のある本をむさぼり読んだことがあります。
 とりわけ、食べ物についてはわからないことばかりでしたから、料理の本も多く読みました。
 その中の注目すべき一つに麺類の話がありました。

 日本の蕎麦やうどんは包丁で切って麺を作り出します。
 しかし、ラーメン、中国語では「拉麵」ですが、それは、「拉」が引っ張るということですから、切るのではなく練った小麦粉を引っ張って引っ張って、何度も引っ張って、細い麺を作るということがわかったのです。
 実際、のちに、上海の下町の観光客がいきそうにない、蘭州麺の店で、店主が客の前で、「拉」して、茹でてくれたのを見たときは大いに感動し、それまでは食せなかったパクチーと合わせて大いに食したものです。

 そのほか、日本の麺料理にはない、それを刀で削るという麺もでてきて、このような各種各様の麺のあり方に驚いたものでした。

 唐の時代、長安を中心に麺食が発展し、国内各地に様々な麺が誕生し、やがてはそれがイタリアにまで伝わり、あまり器用ではないイタリア人は、押し出し機で麺を作り出し、それを乾燥させることで長持ちさせるパスタなる食べ物を編み出したとなれば大いに感心したのです。

 また、インドやアラブの地域では、人々は「手食の習慣」を持っています。
 ですから、熱い汁にゆでたての麺は、手で食べることが不可能ですから、当然、麺文化は根付くことがなかったということになります。

 食事を栄養摂取の手段としていた社会が、豊かになると、グルメブームが起きて、従来なかった食文化への関心も高まると言うのが通説となっています。
 かつての中国の麺文化が世界に広まったように、今、人々の嗜好が短期間で劇的に変わることを示した事例が日本の生魚料理であると思うのです。
 日本の海鮮料理は素材にできるだけ手を加えず、油をあまり使わない。それが健康ブームに乗り、大いにもてはやされているというわけです。

 それもこれも、ニューヨーカーたちが、初めて手をつけてくれたことにより、世界に広がるのですから、和食に関係する人にとってはありがたい街の住人たちなのです。

 今は、日本の焼き餃子が人気を博しつつあるということです。
 そんな、ニューヨークのヤンキースに、大谷が入団したらと思うと、もう、来春のヤンキースの試合が楽しみでならないのです。
 すでにもう、私の耳にはシナトラの「ニューヨーク ニューヨーク」が聞こえています。




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ありがとうございます

写真も、水彩画も、文章と同じに力を入れていますので、本当に嬉しく思っています。
1pushさんのサイトも読み応えがあります。
大いに頑張って、良いものを創り出そうではありませんか。

No title

お世辞ではなく、こちらの写真も素晴らしいと思います。写真ではなく、なにか芸術的な絵のように感じました。
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Author:nkgwhiro
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《7 / 23 🍙 Tuesday 》
 
🦅 ただいま、<カクヨム>にて『我が宅は埴生の宿なり』を発信しています。

 ささやかなる宿なれど 
  そは我が生涯のある証 



 何世代にもわたって、その地に根を下ろすのもよし、たった一代、好き勝手に人生の一時期を過ごすのもまたよしとおもうのです。

 故郷とか、家というのは、実に、はかない、せつない、たよりないものであるのです。

 でも、こころのどこかに、人の思いを感じることのできるそんな場所でもあるのです。
 だから、人は、その狭い空間に、はかなさ、せつなさ、たよりなさのほかに、懐かしさを感じ、時空を超越した感情を託すことができるのです。
 
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