君が代や三十一度の初暦

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曇天の中で、銀杏の木が染まります。これもまた、秋の風情です。


 今月1日、皇室会議が召集され、2019(平成31)年4月30日ご退位、翌5月1日、新天皇ご即位が決まりました。
 これにより、平成の御世は、30年と4ヶ月で終わりを告げることになります。

 そして、今上陛下は、その日より、「上皇」となられわけです。

 私たちの生きている時代に、まさか「上皇」様とともに刻を過ごせるなど想像だにしなかっただけに、不思議な気持ちでいるのです。
 我が国の歴史を紐解くと、最初に、天皇を退位し、上皇位についたのは、皇極天皇でありました。
 のちに、この天皇は、再び即位し、斉明天皇とお名乗りになります。

 この天皇は、舒明天皇の皇后で、天智天皇、孝徳天皇の皇后になられる間人皇女、天武天皇の母親でもあられます。
 これだけ書くだけで、複雑な歴史がそこにあったことをうかがい知ることができますし、事実、壬申の乱を経て天武天皇が即位するまで、歴史は混乱を続けたのです。

 しかし、この時代、<天皇>という呼称はまだ採用されていませんでした。
 ですから、形の上では、上皇ではあるのですが、正式に「上皇」の名称が用いられるのは、701年に制定された『大宝律令』での決まりに基づき、持統天皇が最初になります。

 そんなことで、「上皇」という呼称は、歴史の産物であるとばかり思っていたものですから、不思議な気持ちでいっぱいなのです。

 なにか、私たちが悠久の歴史の中にポンとおかれているような、そんな嬉しい錯覚さえも持ってしまうのです。
 でも、よくよく考えてみますと、日本という国に、生まれ、育ち、このような歴史の節目を迎えられるということは、大変に幸運で、素晴らしいことであると思うのです。

 というのも、世界を見渡しますと、時代の変革により、それぞれの世界に君臨していた王朝は、ことごとく破滅に追いやられていったことを、私たちは知っているからです。
 中国では、最後の王朝である清が革命により滅びました。
 ヨーロッパでは、イギリスや北欧など一部を除き、王家はことごとく新しい時代に、新しい権力のもとで、その歴史に幕を閉じていったのです。

 そうした中、日本という国は、幾多の困難を経て、皇統が引き続いてきているのですから素晴らしい国であると思うのです。

 古代史最大の内乱である壬申の乱をはじめとして、源平が権力を競った武家台頭の時代、さらには、足利尊氏によって、南北に皇統が分かれた時代もありました。武家の時代はその後も続き、戦国の時代を経て、徳川の時代と、その中でも、天皇家は脈々とその歴史を歩んでこられたのです。

 そして、明治の時代、天皇親政の時代が訪れます。

 天皇自らがそれを望むというより、日本という国を憂うる人々がそれを望んだと言えます。
 欧米列強の帝国主義の犠牲にならなかった日本近代の歴史は、このことと無関係ではなかったかと思います。
 国が、藩という小さな部分の寄せ集めの幕府であっては、欧米の力に対応はできなかったからです。
 そういう点でも、明治の治世は評価されなくてはならないのです。

 この時代、周辺の大国、清とロシアに脅かされながらも、小国日本は、これらの国との戦争を勝利します。

 負けていれば、日本は清国の数ある省の中の一省となっていたかもしれないのです。
 その後の中国の政治の混乱を考えると、日本も凄まじく、そして、幸福とは言えない歴史を刻むことになったはずです。
 また、清国に勝ったとして、ロシアに負けていれば、これまた、とんでもない時代を送らねばならなかったと、そして、日本語も話せないロシア語を使う国になっていたかもしれないのです。

 共産主義的な発想からすると、この時代の日本の歴史は帝国主義的策謀を巡らす国家となるのですが、私は、そうではなくて、必死に、国を守るために、時の強力な軍事力を所有する国に対抗したきたと考えなくては、日本の歴史を誤った形で捉えてしまうと思っているのです。

 昭和になり、陸軍の横暴な振る舞いにより、理不尽な戦争を始めてしまいました。

  『よもの海みなはらからと思ふ世になど波風のたちさわぐらむ 』

 という明治帝の御製をお読みになられた昭和天皇の当時のお気持ちが、この一句には示されてあまりあります。

 当然のように、物量を誇るアメリカとの戦いで、敗戦という結末を迎えます。
 我が国始まって以来の未曾有の国難ではありました。
 それでも、アメリカが我が国に一目置いたことは事実であります。
 そこには、ソ連の共産主義に立ち向かうと政治的な思惑もあったことは事実です。同時に、敵国である日本を研究する中で、この国の偉大さにも気がついたとも思うのです。

 敗戦の責任を一身にまとい、責任を回避しなかった昭和天皇の姿は、今では広く知られているところであります。

 そのことの方に重きを置いたのがアメリカという国であったのです。
 そこには、もちろん、国に残した家族を守らんがために命はてた数多くの兵士の姿がありました。
 アメリカもまた、アメリカのために命を捧げた人々に敬意を表する国であったのです。
 だから、日本のことをよくわかっていてくれたと思っているのです。

 また、きっと、圧倒的多数の日本人が天皇家を必要としていたとも思っているのです。

 被災地を訪問し、膝をついたお姿、戦地を訪れて、深々と頭を垂れるお姿を見て、心を揺さぶられる日本人は多いと思います。
 それが何を意味しているかということです。
 それは、日々の生活に追われる自分の代わりに、このお方がそうしてくれているという思いがあるからなのです。
 人の不幸をなんとかしてやりたい、しかし、そうそう、援助の手を差し伸べることができない、それをあの方がなさってくれているという気持ちが感動を誘うのです。

 きっと、古代から今に至るまで、多くのこの国に暮らす人々が形こそ変われど、そうした思いを持ってきたに違いないと思っているのです。

 今回の表題を「君が代や三十一度の初暦」としました。

 これは、子規が明治26年に詠んだ「君か代や二十六度の初暦」の数字を変えたものです。
 新しい暦は、白紙の状態で物事が始まるワクワクとした気持ちを代弁して余りあるものがあります。

 日本という国は、天皇家を持ち、その都度その都度、こうして新鮮な気持ちで新しい時代を作っていく国なのです。
 この師走の一日、来るべき年の、そして、さらに来るべき歴史的な年を、そのまっさらな暦に希望を託して行きたいと思っているのです。




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