師走の炎灯

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いい雲です。彩りがあります。まるで、炎のような雲でした。自然は、時折、こうした美しい光景を見せてくれます。


 その日の夕方、まだ、明るさが残っている頃合い、私は、バルコニーに出て、自宅に設置した青色のイルミネーションにスイッチを入れました。
 我が家の前を通過する帰宅の車から、また、我が家の前を散歩する人たちが、この青く瞬く光の束を仰ぎ見てくれて、少しでもいいなと思ってくれればありがたいと思っているのです。
 まぁ、年の瀬、私ができることといえば、そのくらいのことです。

 でも、こうして毎年ささやかなイルミネーションを出していると、思いもかけぬ言葉をもらったりもするのです。

 今朝、早朝の散歩から戻り、北風で吹き寄せられた落ち葉を玄関先で履いていましたら、隣のアパートの住人で、いつも挨拶してくれる好青年が、その日は夜勤明けらしく、私のところまでやってきて、指を上に向けて、いつも灯りありがとうございますと言ってくれたのです。

 なんだか、その一言で一日幸せ感に満たされ、時を過ごすことができたのです。
 ですから、その日の夕方は、幾分早く、明るさがまだ残っている時間帯に、イルミネーションのスイッチを入れたのです。

 あまりに気分の良い一日にであったので、その日、私は、暖炉の掃除もしました。
 これから二月までの三ヶ月間、折に触れては、暖炉で火を焚くためにです。

 私は、人生において、二人の娘を授かりました。
 きっと、この娘たちは、ある程度の年齢になれば、好きな男を見つけ、ゆくゆくは育ったつくばの家を出ていくに違いないと思っていました。
 つくばで暮らすのではなく、東京に出て、それぞれの出会いを経て、きっと、戻ってこないに違いないと思っていたのです。
 案の定、一人は松戸に、一人はあまりにも遠いゴールドコーストに行ってしましました。

 私の予想は見事的中したというわけです。

 さて、当時、そう思ったとき、この家を終の住処として、暮らすには、何か物足りないと思ったのです。
 そこで、日当たりのよかった庭を潰し、そこにガレージと二階には山小屋作りの、つまり、天井のない高い空間の広く感じられるリビングとキッチンを建てたのです。
 日当たりのよかった庭は、陽の光が圧倒的に差し込むいい部屋へと変わりました。
 庭の代わりに、一階の東側にはウッドデッキを作りましたから、外での活動には支障がありません。
 そして、せっかくだからと、そのおりに、暖炉も併せて、設置したのです。

 庭に代わるウッドデッキに、バルコニー。
 冬の厳しいつくばで、暖かい陽の差し込むリビングとキッチンに加えて暖炉です。

 よく、知人に、暖炉より、同じ薪を使うなら料理もできるストーブの方がいいではないかと意見をされるのですが、そうではないのだと、この時ばかりは、反論をするのです。

 私がストーブではなく、暖炉を設置したのには、それなりの理由があったからなのです。
 もっとも、暖炉が高額すぎるなら、囲炉裏でもよかったのですが、残念ながら、二階に囲炉裏を作ることは、暖炉を作るよりも手間暇がかかり、業者も二の足を踏んだのです。
 床が熱で焼けて、一階に落ちたらとでも考えたのでしょう。
 ということで、アメリカ製の暖炉を輸入し、設えてもらったのです。

 さて、ストーブではなく、暖炉をなぜ欲したかということです。
 それは「炎」を身近に置いておきたいという思いからであったからなのです。

 「炎」を置いておきたいと言われてもと判然としない方が多くおられると思います。
 カナダやイギリスに、仕事でいかせてもらい、私は、これら国の家に多く見られた「炎」のある生活というものに憧れていました。そのことが発端となっていたのです。

 一つの暖炉があって、そこへ薪をくべて、火を焚いて入ればそこそこ暖かいのは暖かいのですが、そこにいる人は厚手のセーターを着て、毛布を膝にかけています。
 つまり、さほど、暖炉というのは暖かくはないのです。

 暖かさを求めるというより、彼らは、炎を楽しんでいると、そう思ったのです。
 日本の家屋のように、部屋全体を照明するのではなく、本を読むに足るわずかの灯りと、暖炉の炎だけが部屋を照らしています。
 そんな光景です。

 我が家に暖炉を設置して初めてわかったことですが、火をつけたての頃は確かに顔が真っ赤になるくらいに部屋が熱くなります。メラメラと炎が上がり、火熱が押し寄せてくるのですから。

 でも、しょっちゅう、そのような状態にしておくわけにはいきません。

 そうなれば、私は、まるで銭湯の湯番のように、あるいは、蒸気機関車の石炭係のように、忙しく働かなくてはならなくなります。
 そうではなく、ゆっくりと炎を見ながら、貴重な夜の時間を過ごすために暖炉はあるのです。
 ですから、料理もできる、周囲に温かい熱を効率よく伝えることができるなどと利便性を優先するストーブで、というのではダメなのです。

 第一、ストーブでは、蓋を閉められて、炎を見ることができません。
 適度な薪をくべて、その薪に火がうつり、ゆっくりと炎を上げていくその時間を楽しむのです。

 松戸に暮らす孫たちが遊びに来て、あれだけ騒ぎ、大きな声をあげていても、暖炉に火を入れると静かになります。
 彼らは、暖炉の前で、体育すわりをして、じっと炎を見ているのです。

 その光景を後ろから見ていると、きっと、炎の揺らめきが人の心を落ち着かせ、心地よさを誘い出しているのだと思うのです。

 いや、もしかしたら、人類の祖先が、漆黒の闇の中で、いつ何時獣から襲われるのではないかという恐怖心を、炎を手にした時、それを取り払ってくれた思いに浸っているのではないかとまで思うのです。

 まさに、人の遥か昔に刻み込まれた記憶、火を手にして、炎を見つめることで心に安心を与えるという何十万年という長い記憶が、その一瞬に宿るのではないかと思えるのです。

 この季節、街に色とりどりのイルミネーションが輝くのも、そうした人としての記憶がなせる技なのかもしれないと思うと、妙に納得が行くのです。
 炎に、灯に、崇高の念を抱き、畏敬の念を働かせるのは、人類共通の原点ともいうべきものなのです。

 さて、今日も、私は私だけの炎を灯して、異空間に旅をしたいと思っているのです。




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ロウソクを灯して……

浮雲さん
コメントありがとうございます。
朝晩はとても冷えますが、昼間は天気も良く、小春日和の
いい日が続くつくばの街です。
夜は次第に冷え込んできます。
炎を愛で、ゆっくりと時間を過ごすことはいいことです。
これからもよろしくおねがいします。
では、失礼します。

No title

西洋史学者の木村尚三郎先生と何度かお会いしましたが、炎について言っていたことを思い出しました。先生は部屋の明かりを消してろうそくの炎を眺めることが大好きだと。なるほどと感じ入り、私もろうそくを買ったものです。
今夜は暖炉はありませんので、ろうそくに火を点してみようかな、などと言う気分になりました。
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